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夢に終わった「越美線」を繋ぐ 机上編


先日アップされたこの記事の続編です。


「実踏編」として、越美線予定ルートを実際に辿る旅をした前回ですが、今回は「机上編」と題して越美線の歴史や(特に)ルートについて考察?してみました

本記事の目的は「石徹白経由ではない越美線未成区間ルート案を紹介する」ことです。これから越美線未成区間を訪れようと考えている方や未成線に興味がある方々にとって価値ある情報となれば幸いです。

また、当記事は2/3節について、「『あゆみ』(国鉄越美線全通対策同盟会 1989年)」を参考・一部引用しています。





1.  越美北線・越美南線 簡単な歴史


越美線として全通するはずだった越美北線・越美南線ですが、越美北線は九頭竜線として案内され、越美南線は長良川鉄道として押し出されていて両線の関わりはパッと見では分かりません。

両路線は似通った名前をしていますが、建設時期は大きく異なります。
片方は戦前に全通。もう片方は戦後しばらく経ってからの着工と時期にあわせ、路線の性質は大きく異なっています。

長良川鉄道・車内にある「越美南線」路線図

1-1 JR西日本 越美北線

越美北線は昭和31年(1956年)に福井駅ー越前朝日駅(現九頭竜湖駅)の間で着工され、4年後の昭和35年に勝原駅までの区間が開業します。

勝原より東の区間は建設技術の進歩によって長大トンネルを用いたより直線的な路線として見直され、遅れること12年の1972年に九頭竜湖駅までの区間が開通します。

国鉄分割民営化に際してはJR西日本に移管され、その後2004年の豪雨の影響で多数の橋梁が流失し路線の存続が危ぶまれましたが3年後には全線復旧となり現在も運行を続けています。(末端は1日5本ですが)


1-2 長良川鉄道越美南線

越美南線は元は国鉄の路線で、「越美南線」として運行されていた路線が特定地方交通線を国鉄から切り離す過程で第三セクターの長良川鉄道に移管された長良川沿いの風光明媚なローカル線です。

越美南線は大正12年(1923年)に鉄道省によって建設が開始され、徐々に北上していき11年後の1934年には北濃駅に到達し、全通しました。

戦前と比較的早い段階で全通し、この後も多少の駅の新設/廃止はありますがほとんどそのまま現在まで引き継がれています。

末端の北濃駅は平日1日8本ですが、より南の区間は概ね1時間に1.5本程度と越美北線に比べれば本数も多く、途中には郡上八幡といった観光地もあり、全体的に利用の見られる路線となっています。


2.未成区間のルート案


越美北線/南線・建設の流れを軽くみたところで、いよいよ本題。
紆余曲折あり建設されなかった北濃駅から九頭竜湖駅までの区間は、どのような経路で建設する予定だったのでしょうか?

簡単にwikipediaより引用して、確認してみましょう。

北濃駅 - 九頭竜湖駅の未開通区間は、岐阜県郡上市白鳥町石徹白(旧福井県大野郡石徹白村)を経由することとなっていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E7%BE%8E%E7%B7%9A

このように、岐阜県郡上市の石徹白集落を経由するとされています。(出典は不明だが、他の記事を見てみてもどれも同じことを言っているためどこかに典拠があるものと思われる)

実際、北濃ー九頭竜湖を結ぼうとすると例えば越美線予定ルートに並行する中部縦貫自動車道(油坂峠道路)では

自動車専用道として異質な線形をしていることに定評のある当区間

このように、比較的勾配に強い自動車道路をもってしても高低差は克服するためにΩカーブを採用しており、鉄道でここを超えるとなればかなり困難であることは明白。

一方、より北周りとなる石徹白経由案(以下、石徹白線案と呼ぶ)は、油坂峠ほどの高低差が無く「どちらかを通さなければならない」と考えれば選ばれるのは妥当と言えるでしょう。

では、初めから石徹白線案しか考慮されていなかったのでしょうか?

ネットで色々と調べてみても、「越美線の未成区間」として語られるのはほとんどが石徹白線案です。
また、大まかなルート案についても中々出て来ませんでした。

そこで、NDL(国立国会図書館)のウェブサービスなどを使って調べ、リンクなど辿っていると、気になる記述を見つけました

(3)越美線についての所蔵資料

『あゆみ』(国鉄越美線全通対策同盟会 1989年)

・・・巻頭図版「越美線概要図」(カラー図)に、未成線の第1案と第2案の記載あり。「昭和61年度委託調査の概要」p42に、想定ルートの大まかな図と概算工事費の記載あり。越美線の沿革はp1-3、同盟会の動向はp9-22に記載あり。

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000336031&page=ref_view

これは気になります
なにせネット上で探しても見つからなかった大まかな想定ルートが載っていそうです。また、工事費や需要予測なんかもありそうです。

じゃあ福井県立図書館に行って見に行こう!
としたい所ですが、前回の実踏編より後にこの資料の存在に気付いたので、一つの資料の為に福井に行くべきか…と

もうちょっと調べれば概要ルートも出てくるかもしれないし、と躊躇していましたが、ここで救世主が
近々北陸を訪れるというXのフォロワー氏が、資料集めに協力して頂けることになりました ありがたい!!

後日。
「大まかなルート案ぐらい出てくればいいな~」とか思ってたのですが
想像の何倍も面白い資料が出て来て非常に驚きました。

以降、まさか出てくるとは思っていなかった初期ルート3案と、石徹白経由が決定した後の石徹白線2案について、紹介します。


2-1. 石徹白線案(本命)


第一案は、北濃より北上し石徹白を経由して、石徹白川に沿って下り九頭竜湖駅に至る案です。資料でもこの案が「最も適当である」とされていて、越美線を建設する上では本命の案となっています。

また、勾配やトンネル名(文字は潰れて具体的な名前は見えない)が載った縦断面図が作られており、ここから詳細なルートを想像することができます。

縦断面図以外にもルートを考える要素はあり、各案共通で
・線路種別:丙線(ローカル線規格)
全線単線
・最小曲線半径 300m
最急勾配 25‰ (1000mあたり25mの勾配)
とされており、これも基準になります。

縦断面図より想定されるルート候補①
縦断面図より想定されるルート候補②

今回、縦断面図から石徹白駅予定地を確定させることはできませんでしたが、有力な候補として二つのパターンを作りました。

一つ目が現石徹白郵便局の北側に設置される、というパターンです。
まず、縦断面図では石徹白駅予定地周辺は平坦な土地で、石徹白駅より300m程度で石徹白川を橋で乗り越え対岸に移ることになっています。

ここから想定される駅の場所はかなり限られていて、この案では石徹白集落の中心と言える場所に設置され、利便性は後の案に比べ高いです。

また、第二のパターンでは下在所に置かれるというパターンで、こちらも地形的には縦断面図と矛盾せずに駅設置することができます。駅の利便性は低めですが、致命的ではありません。

一方で、両パターンの共通点は石徹白以西です。こちらは縦断面図はあるものの概略ルートから取りうるルートの選択肢が多く、想像の余地が多いため、同一ルートとしました。


2-2. 油坂峠Ωループ案(上半原経由)

全体図

石徹白経由に続く第二案、油坂峠に挑みます。
第一案とは異なり縦断面図がないのでトンネル位置は完全に想像ですが、資料にある大まかなルートを再現しています。

線路は北濃駅をスタートするとすぐに180度回転して南向きになり、そのまま山の斜面と並行に沿って標高をじわじわと上げて行きます。
線路規格は第一案のものと同じとされているので、20~25‰の勾配を多用して登るものと思われます。

標高を稼ぎ、長めのトンネルで油坂峠を超えると上半原駅です。
計画では九頭竜湖駅(計画当時は越前朝日駅)から21k500m00地点に停車場が置かれることになっていました。

駅名は決められておらず、今回は駅設置場所の地名を仮の名前として採用しました。また、資料ではこの第二案と第三案は「上半原経由」とされていて、実際に計画が進めばこの駅名になった可能性は高いと思われます。

この駅の問題点は周囲に一切人家が存在しない、ということです。
駅設置予定地周囲の過去(昭和45年時点)の航空写真を見ても、人家がある様子は見られず、できたとして利用者が居るかはかなり謎です。

Google map による航空写真。映っている建物は建設工事用のもの

利用者についてはさらに問題があり、この計画案が出された昭和40年は下流の九頭竜ダムが着工したのと同じ年です。

ダム予定地の上流である上半原の集落は九頭竜ダムの建設が決定した段階で住民は移転することになっており、地元住民の利用は案が提出された時点で全く考えられないのです。

ダム建設予定地の上流には、水没こそ免れるものの、交通が断絶する集落がいくつか存在した。この問題については当事者である現地住民全員が移転の意向を示し、それぞれ希望通りに取りはかられた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%A0%AD%E7%AB%9C%E3%83%80%E3%83%A0


上半原駅(仮)より西に延びる線路は、ひたすら旧河川に沿って進んでいきます。ここの予定経路は、資料の通りに線を引いてみると恐らくダムを想定しているであろう経路になっています。

途中(九頭竜湖駅から10k200m00)には信号場が設置される予定になっており、10km間隔で交換ができるように設定されたものと思われます。
今回は設置されると推定される場所の地名をとって名前を付けました。


2-3. 油坂峠ループ線案(上半原経由)

昭和40年に検討されたルートとしては最後の第三案。
このルートの特徴としてはなんといってもループ線で、美野白鳥から直接油坂峠に挑むハードな案です。

全体図


上半原以西は第二案と共通しており、ダム湖に沿って進みます。信号場も同じです。ダム湖に沿う区間は第二案と同じルートなので省略し、ループに着目します。

ループの部分だけ拡大

美野白鳥からはしばらく既存の線路と並走し、そのまま山に突っ込んで1回目のカーブ。そして、第二案と同様に山に沿うようにして標高をじわじわ上げて行きます。

背景の中部縦貫自動車道と同じくつづら折り方式で標高を稼ぎながら最後はループ+トンネルで乗り越えます。ただ、第二案と同じく縦断面図がないのでトンネル位置などは想像です。

また、こちらの案でも上半原付近に駅と信号所を置くことになっていて、

全ての案の中で最もトンネル量が多いルートで、建設費も最も高いこのルートですが、白鳥から直接伸びているためその分第二案より所要時間面で優位かと思われます。


2-4. 石徹白線案 昭和61年検討ver.

両案

昭和40年の調査で本命とされていた石徹白線案を主として検討されたのが昭和61年の2案です。

第一案では北濃駅からそのまま北上してトンネルに入り、石徹白駅に直接出る予定となっています。石徹白駅の位置は21年前の案より考えられた2パターンのうち、下在所案を採用しています。

両案は縦断面図など詳細なデータはなく、特に西側に関しては想像の範囲を出ないのですが、41年時点の案より駅間距離が短くなっていることから、より直線的な線形になる想定しています。

第二案では一旦高鷲まで回った後、石徹白まで向かうルートです。こちらは41年に想定された石徹白ルートに類似しています。また、総延長は第一案より1.8kmほど長くなるとされています。

こちらの案では少し距離を長くすることで細かな需要を広い、少しでも赤字額を圧縮しようという意図が垣間見えます。


3. 各案まとめ・建設費等について


今まで、資料にあったルートを比較します。
40年の検討ルート/61年の検討ルートと比較項目が異なる部分があり、一概には比べられませんが、簡単に比較してみます。

これを見ると昭和40年時点での検討で石徹白ルートが選択された理由が良く分かります。油坂峠を越える案と比べて沿線人口が多いというのはもちろんのこと、トンネルの総延長が最も短く工事費が抑えられることが決定的で、他案にそれを覆せるだけの優位性は期待できません。

中京圏と北陸の広域連絡を担うということを考えると第三案に利点がありますが、どのみち現在の「しらさぎ」ルートに線路規格が遠く及ばないことは明らかで、ここで全体優位とはなりにくいかと思われます。

各案を簡単に比較した表(『あゆみ』より一部改変し作成)

次に、昭和61年に石徹白経由として考えられた二案について比較します。

こちらは縦断面図等詳細な資料はなく、トンネル長も記載がありませんでした。しかし、日本鉄道建設公団によって石徹白直行案については航空測量が行われていて、こちらが有力とされています。

一方で、高鷲に駅を設置する第二案では距離が延びる分建設費が30億円ほど積み増しされますが、営業係数をみると少しだけこちらの案のほうが小さく、収益面では両案とも2億円の赤字と大差ありません

また、第二案で増加する建設費については地元負担となる可能性についても言及されていたり、長良川鉄道に移管するケース(赤字額が若干少なくなる)についても検討されています。

最後に、仮の路線図より求めたトンネルの総延長を記載しました。路線再現の妥当性については参考になるかも。

いずれにせよ、資料内では当路線の実現性について検討の結果
「鉄道輸送需要予測及び収支計算結果から、免許取得は極めて困難である」
と断定されており、この段階では実現性は(ほぼ)無いと宣言されています

採算度外視で各地にローカル線を建設していった時代ならともかく、国鉄の財政問題が顕在化した時代では、このような不採算路線を建設することは不可能であったのだろうと思われます。

昭和40年の段階なら調査次第で建設に着手された可能性はありますが、この時点でも調査にとどまった当路線が実現する可能性は残念ながら非常に低かったと言わざるを得ません。


4. 越美線予定ルートを辿ってみる


最後に、昭和40年に検討された石徹白経由案について、縦断面図を基にストリートビューを見ながら簡単に辿ってみます。

また、前節でも述べたようにこの路線は調査だけで終了し着工はされていないので、未成線の遺構といったものは一切見つけることができません。

北濃駅を出発した列車は長良川西岸を進み、塚洞川を越えた辺りから標高を次第に上げていきます。一つ目のトンネルをくぐって掘割を抜けたあと、高いところから小洞川を越える橋梁に入ります。(①)

①-小洞川を越える橋梁の想像図

いくつかのトンネルを越えると若干の平地が現れ180度方向転換します。(②)

②-高鷲町鮎走で進行方向を変える

列車は25‰の坂を登って標高を稼ぎ、標高550mまで至ります。
ここで、最後に長い平地に出ます。(③)

③-小洞 景色が良さそう

この平地を抜けるとL=1,810mのトンネルを抜けて川を跨ぐためにちょっとだけ地上に出ます。一瞬だけ地上に出た後、同線で最長のトンネル(L=4,830m/名称未定)に入ります。

縦断面図より分かる標高を基に、おそらくここだろうと思われるトンネルの坑口の場所が④です。

④-トンネルができる(と思われる)場所

トンネルを抜けると間もなく石徹白駅となります。
ここの位置はきちんとは分からないので、2-1と同様に2つの案から考えられる駅構内を想像してみます。(⑤)(⑥)

⑤-石徹白駅案 その1
⑥-石徹白駅案 その2

石徹白駅より西はひたすら石徹白川に沿って標高を下げ、九頭竜湖駅(⑦)に至ります。途中の車窓で目立つものといえば石徹白ダム位かな…?

北濃駅から九頭竜湖駅まで28.02km。途中石徹白駅に停車して平均50km/hほどで運行すれば33分ほどになります。ここを実際に踏破した時は2時間掛かったので、それに比べればかなりマシになりました。

⑦-九頭竜湖駅
画像の位置関係


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