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死生観をアップデートする

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病院では「死」は医療の敗北だった。 地域では「死」は生活の先に必ずあるものだった。 地域や生活の中で医療活動をするようになって「死」の見え方や、捉え方がどんどん変わっていった。… もっと読む
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記事一覧

人は最終的には惑星になる。

手足が自由に動くことよりも大切なことに気がついた人から、 次第に動くことをやめる。 手足…

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メキシコ「死者の日」の祭りに参加して「生」と「死」と「街」のつながりと関係性に想…

孤独の迷宮 メキシコツアーから戻った私は、オクタビオ・パス(Octavio Paz)の本を手に取るこ…

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死者の日@メキシコ、在宅医として死に向き合ってきた僕が感じる“死”と“生”のエネ…

メキシコに来ています。死者の日のお祭りに参加するために。 最も盛大に祝われるという、オア…

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僕の死生観

「死生観」 「死は敗北」 医師1年目〜3年目。 死なないようにするのが医療。 看取りは医療じ…

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ALS嘱託殺人 突きつけた課題

2020年ALS嘱託殺人事件。新聞の取材を受けました。 戻ってきては振り返るためにこちらでも共有…

最期の夢を叶える、黄色い救急車

AmbulanceWens 2019年1月訪問 最期の夢を叶えるチーム。 6台の救急車と270人のボランティアで…

「死」の瞬間の曖昧さ-episode.3 「生きてるうちにお風呂に」

「約束どおり、生きてるうちに、お風呂に入れてあげようと思うんです。 よろしいですか」 施設のナースから、朝、電話がかかった。 そんな確認の電話なんてこれまで一度もなかったのに そんなの、確認しなくてもお風呂に入ったらいいじゃん。 そんな確認の電話なんてこれまで一度もなかった、から、 施設に会いに行くことに、した。 看取りが近いことを、本人も家族もスタッフも、みんなが受け止めて関わっていた女性。その日も、小さな施設の小さな部屋で横になっている。いつものように、いつ

「死」の瞬間の曖昧さ-episode.2 「まるで生きてるみたいだ」

卵巣がん末期のおばあちゃんと、認知症のおじいちゃんの二人暮らし。 いよいよおばあちゃんに…

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「死」の瞬間の曖昧さ-episode.1 死に目にあうってなんだ!?

「死に目にあう」ってどんなイメージでしょうか。 大切な人の死ぬ瞬間にそこにいること? 「ご…

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「病」を人生のどこに位置づけるのか? 〜ALS×人生会議、のインタビューに答えてい…

今、時代は 高齢社会、多死時代、人生100年時代。 昭和の時代は、病気が見つかれば病院へ、そ…

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ALS×人生会議 +オランダで見聞きした安楽死のこと

ALSは刻々と病状が進行して行く病気です。 かつて「毎日が絶望の更新だ」と表現された患者さん…

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【コロナ×人生会議、ニュースウォッチ9】25秒に集約された想い(7月20日NHK)

25秒に集約された想い、そしてメガネを曇らせた熱意を少し書いてみます。 1時間インタビュー…

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死神とひまわり

ある7月、1歳の子の紹介相談を受けました。名前はゆかりちゃん。重度の心不全があり、完治は…

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人生会議、しよう。

こういう時は、こうして欲しい。 こんな時はこうして欲しい、と具体的に結論が書いてある方が、役に立ちそうに思いますよね? でも、その方法だけだと、実際に起こった出来事について、決めてなかったり書いてなかった場合には、役に立ちません。 さらに、ちゃんと書いてあったとしても、本当に今も同じ気持ちなのか、とか、今起こっていることは、本人がしっかり想像したことと同じなのだろうか、など悩むポイントは多く、実際に書いてあったことで家族が迷わず選択できるかというと、意外とそうでもないのです