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自分の本音を聞いてみる

ドイツ語の 『Beruf』

ドイツ語を勉強していると、ふと哲学の小道に迷い込む時がある。
Beruf = 職業という他に天職、使命という意味があり、天から与えられたものという意味がある。天って神のこと?キリスト教にありがちな解釈なのか?と最初は思った。
『ドラゴンク●ストⅦ 〜天に導かれし使命〜』RPGのキャッチコピーなんかに出てきそうだ。天に導かれし使命って、どういうこと?と考え始めたら、いつの間にかドイツ語沼にハマっていて宿題が終わらない、ということがよくある。

天に導かれるような使命感を持って仕事ができたなら、どんなに充実した人生になるだろうと、仕事がうまくいっていない時期だったので、尚更その『Beruf』という言葉が私の心に引っかかっていた。

生きる意味、目的は人生から問われている

先日、中越裕史さんの『日本一やさしい天職の見つけ方』という本を読んだ。Amazonのレビューを見てみると、「作者の体験談から天職を見つけるまでのいきさつは分かったけれど、じゃあどうすればいいか、もう一歩踏み込んだ内容が知りたかった」、「作者の経験談を参考にした上で、じゃあ自分自身はどうすればよいか、きっかけや方法がわからない、踏み出せない、自分の人生にアドバイスを落とし込んで、具体的にどのように活用していけばいいか分からない」という意見があった。

カウンセリングの目的は解答を提示したり、アドバイスすることではなく、解決に向けて一緒に考えてもらったり、悩みに共感してもらったり、今自分はどんな心の状態なのか、鏡で自分の姿を見せてくれるような、『あ、今私こんなこと考えていたんだ、ほんとはこうしたかったんだな、やっぱりこれでよかったんだな』など話していると、自分で自分の本音に気付けることがある。

『これで一発スッキリ解決!簡単でお手軽!』『劇的で手っ取り早く!らくらく時短!』というノリで答えを求めてしまうと更にモヤモヤしてしまう。漠然としたことを数値化したり図表化したり見やすく分かりやすく、という明確で効率が重視される世の中だから尚更、苦しいからすぐにでも何とかして欲しい、もっと分かりやすく!ということもよく分かる。

しかし答えがなかなか見つからないときは、作者が言うように一晩寝かせたカレーのように、また何年も寝かせたワインのように、問題解決を少し気長に、そして気楽に熟成させてみることも必要かもしれないと思った。

何年か後に改めて見てみるとやっぱりいいよね、と深みのある味になっていたり、新しい味わいになっていることもあるかもしれない。時代や世間も移り変わりが早いから、あの時はいまいちだったことも、次の時代には見直されて評価されることもある。他者からの評価だけではなく、自分自身を評価する場合も、過去の自分とは違った見方ができるようになっていて、自分の活かし方も分かってくるだろうと思う。

とかく人生で重要な決断や岐路にあるとき、すぐには答えなんて出ないし、もがき苦しむようなこともある。でもやっぱり自分の中にきっと答えはあるのだし、それに気付いてあげられるか、どう引き出して活用してあげられるか、苦しんで悩んだ分、時間はしっかりかけてあげてもいいと思う。

待ってみる、探ってみる

自分の背中をさすってあげて、『本当はどうしたいの?大丈夫だよ、私がついてるよ。じゃあ、少しずつやってみようか、だめだったらまたやり直せばいいよ。』と自分の心の奥深くにあるしまい込んでしまった本音は何なのか、優しく寄りそって、時には励ましあいながら話を聞いてあげること、まずは一緒にいてあげることが大事なのではないかと思う。

忙しい、面倒くさい、と自分を置き去りにしないで、自分を大切に愛して助けてあげることができれば、たとえすぐには解決しない問題でも、答えや目的に少しずつでも近づくことができると思う。

最近『本当はどうしたいの?』とやっと正直に自分と対話できるようになってきたと思う。ようやく私もスタートラインに立ったような気分になった。
少し時間はかかるかもしれないけれど、心の奥深くにあるほんとの気持ちに気づいてあげて、大切にしていけたらいいなと思っている。



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