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救うのは自分自身

「救うのは自分自身」

みんな何かに救いを求めているし、誰かの救いになりたい。
救いとは一筋の光や指標とも言える。
それが人が生きる証でもあると思うし、そんなの望んでない人は稀。
誰しも深層心理の中にある。
「生きる」に必要なもの。

〝誰かに必要とされたい〟

〝誰かを好きになりたい〟

〝誰かにありがとうと言われたい〟

〝誰かに凄いねと言ってもらいたい〟

そんな誰かに必要とされ、人は生かされると思うし、
それを望むから疲れるんだとか、望むから病気になるんだは違う。
もしそれに気付いていないのであれば、幸せな人だと思う。
普段から親に気にかけてもらえたり、友と呼べる人や、
子供に恵まれてるのかと思う。

縦や横の繋がりは重要。

縦や横の繋がりは必要不可欠で、それは依存や執着とは違う。
「生きる」にあたって必要なのだ。
もっと言えば、人は必要とされていなければ存在すらしない。
今、存在して、この文章に目を通しているということは、
何かに救いを求めているし、誰かに必要とされている。
それがどんな形であってもよい。
健全だろうが、不健全だろうが、自身の名前を覚えてもらい、
明日仕事に来るように言われている関係でもよい。
とにかく何かに適度に縛られ、適度に約束する事が大事。

忘れないでいてほしい。

縛るというのは拘束とは違う。

また存在しない人と会う約束をしないでほしい。

この世は難しいけれど、やっぱり生きたいし、生きてほしい。
限りある命だから。

そして救うのは私ではないし、神でも、新興宗教でもない。
「自分」しかいない。

何を見て、何を捉え、何を信じるかは自由なのだ。
一つのものを「100」と見ないでほしい。
答えは無限。
導きだすのも、答えを持たないのも自由。
「0」もない。
存在も、未確認飛行物体も、どれも正解も不正解もないのと一緒。
ただ〝好きだな〟と思えるものを一つでも持っていてほしい。
それが人でも物でも書き物でもいい。
それがあれば大丈夫だし、それは「幸せ」と同じこと。
誰かと同じ〝好き〟は存在しないから。
どっちが〝偉い〟も〝凄い〟も〝正しい〟も存在しない。
もしそう思っているなら、「間違い」だけは言えるのかもしれない。

ただ「失敗」と「経験」だけは自分を裏切らない。

ただただ、それだけ。


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