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松橋萌の欧州散歩伝2024其の15(ビルバオ美術館)


何の境界としての門なのだろうか
橋は何に対してかけられているのか
この町には磯崎の建造物は存在している。しかし展示スペースにはそれを紹介する写真がなく、地図での建築への案内もない。ただ磯崎新の原体験と、彼の思い描くイデアだけそこにあるかのようだった。

人間の手の作業跡がどこか感じられる銀製の装飾的な武器(動物のモチーフ)、そして科学の産物、核兵器
冒頭の核についての映像と、10個ほど部屋を跨いで再び過去に戻る展示構成になっている
この作品のある部屋に入って、ドローイングを見る。孤独と疎外、この展示における現代作家はその二つのキーワードを含むことが多かった。振り返ると彫刻があり、その重みにこちらの体が硬直してしまう。彫刻越しの絵画を見た時にはある言葉が思い浮かんだ。それは彫刻が身体を全て曝け出しながらも決して語りえない悲しみの表情を浮かべていること、絵画が人間の悲しみをフレームの中に劇的に表現し、到達したといえるべくその形式と描写のあり方に見ることができるように思っている。どちらにせよ、男性が語った。そしてもう一つこの部屋が伝えることがあるとするならば、歴史は何度でも繰り返されてきたということなのだろう。
治療。タルコフスキーの「ノスタルジア」だったかにこんなシーンがあったなと思った。

19:50頃にはもう閉館ですという感じで、エントランスに連れて行かれてしまった。帰り際に、「buen museo」と係員さんに声を掛けてみたんだけれど、「さあね」というジェスチャーをされた。バスク語話者なのかもしれない。


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