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松橋萌の欧州散歩伝2024其の32

朝、植物園へ行った。というのも、電車が行きたい方向と逆のものしか来ないからだ。そう言ったらゼミの先生は笑っていた。ゼミが何故だかとても有難かった。植物園は地中海・オーストラリア・植民地主義・植物と人間の関係(ある種の、人間側からの植物への迫害)についてを断片的に語っていた。他はただ植物がそこにいるだけ。学生がたくさん行き来するゾーン。もう少し散策したかったが、ミーティングの時間になってしまう。

急いで帰ったが、やはり先生の子は寝付かないということで、一時間後になった。寝付かないというのは大変なことだと思う。お腹も空いていたし、スープでも食べようと思った。私自身、あまりゼミで遅刻せずに出席できないので、互いにそうしあうことで丁度良いのだと解釈している。

そのスープの材料の鶏肉を買うとき、あるスーパーの店員は「ニイハオ」と声をかけてきた。ドイツに来て初めて中国人か?日本人か?を問われ、どこへ行っても聞かれるんだな…と思った。デュッセルドルフは日本人が多く暮らしているということで、見慣れているだろうから、その質問はあまりされないだろうと思っていたが、アパートはアジア人が殆どいない区域にあった。そして、その店員もまた白人ではなかった。殆どの店員がそうであるこの町の中で、スーパーの奥の薄暗い肉屋のスペースの彼等だった。一人が黙って止まっている私を見て「ジャパニーズ?」みたいに言っていた。午後が始まる前から既に疲れ切っていたために、口から何も出てこなかった。「ニイハオ」と言った年上そうな人の方が、お前が対応しろ、と腕でやっているのが見えた。「I want…」というと、その日本人だよ、と言った奴がその言葉を繰り返した。それに、私が欲しいと言った肉は売られている部位でもなかったようだった。そういった破棄されるものに惹かれて間違って買おうとすることはたまに日本でもあることだった。入り口付近のレジにいるのは目元をメイクした女性だった。ごく普通の対応をされた。

カレー粉の箱を三箱も買ってしまったために、そこに鶏肉とラディッシュを入れた。ジュースは、インドの店のよりも風変わりな味がした。

先生に、見て来たデモの話をして、理想の散歩だった、と伝えたら、そうそう、散歩ってDemonstrationなんですよね〜って言われた。第一声に「楽しい?日本にいるよりは」って聞かれて、あはは…と笑った。ずっと日本にいるよりは…

ちょっと日記を書いてもうすぐに明子さんと待ち合わせして観劇。

ハニーチュロ1.5€は美味しい。人間の尿の匂いがする中央駅。

Stay home club が可愛すぎて猫なのに買った。ルイさんが言った、猫の売られ方が可哀想っていうのと何か関係あるのかな。可哀想なものの方により惹かれる。前から気になっていた蹲った男の子のパッケージのも買った。パスポートを要求されたためにそこが自分にとって空港みたいな場所になった。それを試したら、3分くらい遅刻してしまった。30分も前からその場所にいたのに。

前会った時より元気そう、と言われた。先生と話したからだ。どんなことを言われたの?と聞かれたが、一言では話せなくて話は混雑した電車を跨いだ。私は話も、手短にするタイプではなかった。長くしないと、感じた全てを話すことは難しかった。

電波が上手く立たないということだった。窓の外が緑だから…というとあきこさんは顔を上げて窓の方を見て、本当だ、と言ってくれた。

色んな人が会場へ行く道に合流していく。でも、上手く話せなかった。

ここに来て、何故町の人に話しかけられなくなったかといえば、それは自分がもはや、ここでは16歳くらいの見た目と、2歳くらいの言語能力にまでなってしまっており、実質的に3歳くらいの扱いを他者から受ける。それを1ヶ月も体感すると、物凄い無力な存在として自分が自分を認識し始めるからだと思う。加えて、男性からの嫌なあれこれやスリを体感したりなど、そういうことは日本であれば自衛が可能であり、咄嗟に上手く言いくるめる事もできるだろうが、ここではそもそもそういった態度は反射的に取ることは不可能で、コードが違い過ぎるため。そもそもそういったリスク回避的態度を取ることしか可能でなく、殆ど誰彼に疑心暗鬼になってしまうし、相手も自分に対してそうなのではないかと思ってしまう。だから、隣の人に声を掛けられない。

この人は何者か?という人の名前を覚えるためにスペルを教えて貰った。その時に、その人の携帯の中には沢山自分の写真があることに気づいた。自分を確かめるために写真を撮るのだ。

ベルリンで観た、まさに上演が暴力であると体現するかのような、第二次世界大戦のトラウマを表現したパフォーマンス。彼は針で足の傷を縫い、放尿し、自身の頭をかち割った。そしてその日に観た公演は、車をスプラッタにする、という作品であり、「いじめみたい」とあきこさんは表現した。観客とパフォーマーの転換みたいなことが終始行われた上演だったが、車を真っ先にスプラッタにしに行ったのはほぼティーンで、仕込みなのかな?最前列に座っていたし…みたいに謎が残る。"暴力"というものが、ティーンの落書きや、玩具を鳴らしながら馬鹿な音に塗れて行われるものだとしたら、かなりチープなものに上演の暴力を、その作品は書き換えてしまったな、と感じた。作者の意図はわからない。赤いチョークが服についてトイレで洗って落とした。

電車はやはり遅れて来た。ケルンのビールを飲むと、まったりとした味で風車にぴったりだった。後は天使の話などをした。何も考えていない人は求められるものだと思う。おでこに赤い丸を付けた白人の少女がタバコを一本受け取った。帰宅、泣いた。

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