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''面白い''ストーリーは''面白くない''もので出来ている

YouTube・Amazonプライムビデオやネットフリックスなど私たちに動画コンテンツを提供してくれるプラットフォームが現れてから、急速に次の時代へと動いている氣がする。


好きな時に、好きな場所で
好きなタイミングで動画を観る




今の若い子たちに言わせれば、
テレビのように
''家で観ること''
''チャンネルを変えて番組の途中から観る''ことがもう感覚的に受け入れられない時代。


それと同時に、
どんどんと「わかりやすさ」
「理解しやすさ」が重要視されるようになった。


動画の中で何か喋れば
下にテロップが出る。

日本語で喋っていても
日本語のテロップをつける。



テロップの大きさや文字体を変えたり
何かに触れると音が出たり
視覚効果が入る、

つまり「ここを観て!」「ここが面白いところ!」と効果音やエフェクトが追加された編集動画に仕上げられている。



パッと見ただけで、
「面白そう!」とか
「楽しそう!」とか

''そう見えるように''編集され
まんまと''そう見て''いる。



それが悪いとは思わないし、
私たちのヒマ時間や隙間時間を楽しませてくれている。

人類の感覚的な「楽しい」という感情はずいぶん手軽に満たされるようになった。



だけれど、
その感覚的な「楽しい」を''単純化''されてしまったせいで

『面白くない』部分が
『面白い』ストーリーを作っていることを私たちは忘れてしまっているのではないか、と感じてきたので

少しnoteに書いておきたいと思った。




私的な話で申し訳ないが、
母にとある映画をオススメした。

それは、今Amazonプライムビデオで観られる『ミルカ』というインド映画だ。



最近主流の1時間半くらいの映画とは違う、
2時間半ある長編映画だ。

(とても素晴らしい映画だったので
皆さんにもオススメしておきたい)


『ミルカ』
1960年のローマオリンピックで、インドのトップ選手ミルカ・シンには400メートル走でのメダル獲得の大きな期待が掛かっていた。

だが、彼はあろうことかゴールを目前にして後ろを振り返ってしまったことで、4位という結果に終わる。


彼はなぜゴールを目前にして振り返ってしまったのか?


ミルカの壮絶な半生とその生きざまを描いた映画だ。



私はとても感動して、
母に良かったよとオススメした。

(母とは趣味が合うのでいつも映画の情報交換をしている)



数日経って「ミルカ、観た?」と聞いたら母は
「まだ途中」という。

よくよく聞くと、
途中のミルカが恋をする場面で止まっているという。

私たちは恋愛映画に興味がない親子だ。
だから、母の氣持ちも分からなくないのだ。


母はその恋をするシーンを我慢出来ず、
違う映画を見始めたらしい。

先に言っておくが退屈な映画ではない、
その壮絶な人生であるが故にとても丁寧に描かれていて長いのだ。



しかし、
観るのを途中でやめてしまっているので
いざ''観よう''と思うと恋愛シーンからなので
氣が進まない。
(観るか=ミルカ、とならないw)


その為、『ミルカ』は一向に進まない。


ならば、飛ばせばいいのだが
そうするとストーリーが分からなくなる不安もある。



映画館ならば我慢して観る。



だけれど、
感覚的な「楽しい」を単純化されてしまった脳は
この我慢が出来ない。

パッと見ただけで、
「面白そう!」とか
「楽しそう!」とか

分かりやすく、
すぐに理解が出来ないと脳は
''違う映画の方が面白いかも''とささやき始め

それを可能にするプラットフォームであるが故に、1本の映画を見終わる前に違う映画を見だす。



好きな時に、好きな場所で
好きなタイミングで動画を観れるからこそ
ひとつひとつのものに対して
薄い印象になる。


だが、本質的な「楽しさ」や「面白さ」とは記憶に残るものだ。


今や、私たちの「楽しい」という感情は
十分に満たされているのに記憶に残っていないことが多い。


映画館に行かずスマホで1日何本も映画を観れるのが可能になっても、

「ウン十年前に映画館で観たあの映画のあのシーンが忘れられない」なんてザラだと思う。


私は、『ミルカ』をしっかり2時間半の時間をとって観た。

あの苦手な恋愛シーンも、
そりゃ、''はよ先進めよ''と思いながら観た。笑


だけれど、見終わった後に氣づいたことは

あの恋愛の「面白くない」と思われるシーンが
全体としての「面白い」ストーリーを生んでいることだ。

(あくまで「面白くない」は個人的見解ですw)

《あの武井壮さんも日本人選手役で出ている。》




ミルカが恋をするシーンでは、
そのいじらしさや一途さ、
情熱を垣間見ることができる。

私にとって、
「面白くない」シーンだとしても
それこそが人間的な奥行を感じるものでもある。

それが後に、
ミルカの人間性と家族への愛に通じていると
理解できる。



自分の''面白い''ものだけを見ることは、
他の表現を排除し、自分好みでいつも同じような展開の薄っぺらく、印象のないものとしてしまうかもしれない。


自分の面白いものだけを切り取るのは、
この世界に溢れている。


ひとたび検索すれば、
同じような『あなたが興味ありそう』なモノを
AIが見つけ出し、オススメすることで
同じようなニュースフィードで溢れかえり、
この世界すべてが自分の興味のあるものだけで完結する。


だが、人間性やモノの本質は
さまざまな見方によって構成される。


「面白くない」ものでも、
その先の「面白い」に繋がる可能性は大いにある。



今この瞬間が「面白くない」ものでも、
それが自分の人間性やこの先のストーリーを
「面白い」ものにしているのかもしれない。



分かりやすいものにだけ触れるのではなく
難解なものや、他の表現を受け入れると
自分自身の奥行は一層深くなるだろう。


そして、『ミルカ』のラストは必見だと思う。

こんな私をサポートするなんて、そんな変態な人がいるのですかっ?!