対話する時間がない中でのダイアローグ(後編)
毎月恒例・オープンダイアローグ夫婦の公開ダイアローグ、今回はまとまった時間がとれない中での強行ダイアローグとなりました。こんなときはどんなダイアローグになるのでしょう?今月も前後編でお送りします。前編はこちら。
この記事はメルマガ「おうちの人間カンケイについて」(月3回発行)の12月分を再編集したものです。私たちは日常的なダイアローグの他に、メルマガ用に毎月1回テーマを決めてダイアローグしています。メルマガ登録はこちら。
「家事」って言われると途端にテンションが下がる
(細字:ふゆひこ)けいこさんの話を聴いて自分の中から湧いてきたことを言葉にします。
私は「ライフアズワーク」というか「ワークアズライフ」というか、そういうことを意識して暮らしてるのね。それは仕事と生活を別物にすることによって仕事も生活も苦しくなると思っているからなの。だからいま自営業やってるので QOL 高いんだ。
「潤い」ということを聴いたときに、確かにその、「相談室おうち」からバージョンアップして他所に事務所を構えた結果、おうちをだんだん掃除しなくなって、ホコリがたまったり物が元の場所に戻っていなかったり、生活感が出てきた様子が、なんか「潤い」の反対の「枯渇」っていう単語と私の中で繋がるんだよね。「フローリングが光ってない感じ」というか。
「相談室おうち」時代におうちの床に毎日クイックルかけてたその労力を今、「相談支援事業所 me」でのケースワークにかけてるわけだけど、私はそれでエキサイティングに日々を送ってるから楽しいし、それが自分の「人生」だと思ってるから、「余暇がない」とか「今の生活が充実してない」みたいな考えが自分を苦しくするから、もう「全てが生活だ」と思ってやってるから、それでいいんだけど、でもなんか確かに、おうちが汚れてるのに気づいたときににちょっと切ない気持ちになったりする。
あと、けいこさんって割と料理を、何て言うのかな、その・・・食べるためもあるけど、作ること自体がけいこさんにとってすごく大事だっていうのを聴いたことがあって、見ててもそう思うのね。
でも今、けいこさんにとってそういえばゆっくり料理するとか仕込みをするっていうような、そういうけいこさん自身のための時間が少ないなと思って。
だからこれも「時間」の話なのかな。私はその本当に少ない ”お手入れ日” (※二人共通のスケジュールアプリに、オフの日をそう入力している)とかでストレスコーピングを機械的にやってるので、割と「淡々と走り続けれる感」があるんだけど、それって結構なんかその、「自分のタイム感」てやつであって、けいこさんがお手入れするのに必要な時間感覚ではないのだよね、きっと。
私は自分自身のタイム感でお手入れもスケジューリングできできているから、やれてると言うか・・・あ、それおいしいよ。今あのオープンダイアローグトレーニングの仲間が送ってくれたお茶を飲んでるんですけど、エルダーフラワー&レモンの。北欧ぽい・・・だからなんか仕事のペース感がどうしても、社会とか、それに合わせようとする私のペースに寄ってるから、けいこさんが枯渇したり、潤うための時間がなくなったりしてるのかなっていう気がしていて。
今日も、メルマガ発行作業というタスクゴールから逆算して、他人の時間に合わせてやろうとしてた。
結果的に、でも、こういう話題でダイアローグができて、けいこさんは料理しながら、 私はちょっと牛乳パックなどを洗ったりお茶を淹れたりしておりましたけど、料理をすることってけいこさんにとっての「潤い」なんですよね。だから、しなきゃいけない「業務」、労働としての家事とかじゃないんですよ。だから私、手を出さないんですけど。他の家事労働はバリバリやってますから、私。
(太字:けいこ)今の話を聴いてて思い出したのは・・・私、「料理する」っていうことが私にとっての「潤い」の一つなんだなっていうのは、「そっかそっか」って思って、改めて「楽しいことができるっていうことが嬉しいんだな」と思ったのが一つ。私がやりたい料理っていうのは、家事としての料理じゃないんですよ。趣味みたいなもので。
「家事」って言われると途端にテンションが下がるって、自分で言ったんですよね。そのときにね、ふゆひこさんが「他の家事は自分がやりますよ」「バリバリやりますよ」って、確かにそうなんですよ、部屋の掃除とかきれいにすることとか そういうのはすごくありがたくて、そう、まあとにかくありがたいなと思っているんですけど・・・。
「ごはんが食べたい」じゃなくて「ごはんが作りたい」
(け)ときどき、「家事はけいこさんがやっているんでしょ」っていうふうに言われることがあって・・・私にとっては気まずい声のかけられ方で・・・ごはん作るのは好きだからやってるけど、他のことは、嫌々ってわけじゃないけど「やるべきこと」になっているというか、自然にやるとか楽しんでやるとかではない。 なんかこう、女性っていうところだけで「きっとけいこさんがやっているんだろう」と思われるのかわかんないけど。
お部屋をきれいにしたりとか、ディスプレイしたりとか、そういうのとかもふゆひこさんが好きでやっていることと私は認識してるんですけど、なんだろうな、それを他の人から見たときになぜか「家の中のことはけいこさんがやっている」みたいなふうに言われることに、なんか私はちょっと不思議な気持ちを持っているなーっていうことを、さっきの話の中で思い出して。
何て言うか、ここまでの話とは全然違うことが出てきたなっていうので、ちょっと言葉を置きました。
(ふ)「不思議な気持ち」についてもう少し詳しく教えてください。
(け)「私じゃないけどなぁ・・・」っていう気持ちが大きくて・・・。洗濯はするけど、掃除とか片付けとか、ものをディスプレイするとか、物がどう配置されてると心地いいとかみたいなのが、私は分かんないんだよね。できあがったものを見て「なんかいいな」って自然と受け入れられるものと「なんか私にはちょっと違う気がするけどどこをどうしたら心地よくなるかっていうのまではわからない」みたいなところがあって。
何か「家の中のことは女性がやるもの」みたいなふうな言葉を言われたときに、「いや、私じゃないけどな」「私がやってるとかっていうふうにならなくてもいいのになー」って思うことがある。別に不愉快なわけではないし不快なわけでもないけど、なんか「いや違うんだよな」みたいな・・・なんか女性だからとか男性だからみたいな価値観で言われてるような感じを受けるからかもしれない。
そうそう、その質問に「それは私が女性だから家事のことは女性の私がやってるんでしょっていう意味の言葉なんですか」っていうようなことを聞き返したことがないから、「女性とか男性っていうふうに切り分けられた質問」っていうことだというふうに私が感じてるということかな。
事実と違うことを「けいこさんがやってるんでしょう」って言われると、どう答えていいか、返答に困るっていう感じかな。実際は私やってないから。
社会的な、女性は家にいて家の中を守り男性は社会に出て働いてくるみたいなイメージのなかで「女性はこうあるべき」というものを意識させられるような感じがして、わたしは女性が外に出てバリバリ働いて男性が専業主夫になったっていいと思っているんだけど、「私の中にある世間の声」みたいなものは、一部「女性は家に居るべき」「男性は外に出るべき」みたいなこともどっかで思ってる節があって。そういうのが典型的な日本の社会や家族なんだろうなって考えたりするんです。
今はそういう時代でもないし、昔もそれが典型的な家庭だったかどうかなんていうのはわかんない。私が育った家庭もそういう「典型的な家庭」ではなかったけど、私のどっかにそういう価値観があると思う。
自分がそういう価値観を持っているっていうことが時代遅れで古いなって思う自分もいるし。その価値観なくていいのになって思う自分もいるし。もうちょっと強く拒絶したい気持ちの自分もいるような感じも持っていて、一つのことでもいくつもの考えや意見を私の中で持っていたりする。
きっと、育ってきた中でそういういくつもの価値観に触れたり言葉として聞いたりしたことがあるんだろうなとは思うけど。
だから、部屋を掃除するタイミングだろうなとは分かるけど、自分が動いて掃除するっていうのは「疲れたし明日にしよう」っていうのが続くときもよくあって、けっきょく掃除はやっていないってこともよくあるわけです。ははは・・・。
ごはんを作るっていうのは自分のやりたい好きなことだから、「誰かのために作らなきゃ」とか「ごはんが食べたい」じゃなくて「ごはんが作りたい」っていうのなんだと思う。
掃除については、ごちゃっとしてきたのを我慢できるんであれば、したくない。「めんどくさい」の方が勝っちゃう。そんな感じです。
(ふ)麻婆豆腐おいしかったです。けいこさんの自家製味噌も入ってるところが毎回ポイントで。
話戻すと、そうなんです、「生活と仕事が別物になると苦しくなる」っていうのと一緒で、家事が労働になると苦しくなるんですよ。
なんで家事が労働になるかというと、けいこさんが言ったように、「家事をやるべき人」が社会的に決められちゃってるからで。「やりたい人」とか「得意な人」がやればいいだけなのに、「女性だからやんなきゃいけない」とか「男性だからやんなくていい」とかになってて、「向き/不向き」や「やりたい/やりたくない」でやる人が決まってないから、労働になっちゃうんです。労働って「やらされること」だから。さらに家事は「報酬がない労働」とさえ言われて。
そりゃ苦しくなるよね、と思って。家事が労働化して苦しくなると、生活も苦しくなるわけだよね。生活がひからびて枯渇してくるわけじゃんね。
だからさ、私もさ、結婚した最初のころってさ、けいこさんが料理するのって「女性だからこの人やってんのかな」と思ってたんですよ。「女性だからってやんなくていいのにな」って。
でもね、どうもけいこさんのする料理って、なんかその、「自分のため」じゃないかって思ったんですよ。全部ではないけど、食べる人のことが最優先じゃないなっていう感じがして・・・メニュー構成とか、作るタイミングとか、作ったあとのこととか。
「料理」って「”女性がすること”にされがちなこと」だけど、たまたまけいこさんっていう人が趣味でやってんだなって私が気づくのに数年かかったっていうか。
だから、私この今日のダイアローグの最初の方で、やたら「料理はけいこさんがしてますけど私も家事やってます」って言い訳していたのは、そういう世間のリベラルな人たちから「で、女性に料理やらせてお前はその横で何をしてるんだ」って言われるんじゃないか・・・って思ったからなんだよね。
でも今けいこさん麻婆豆腐作ってくれてましたけど、これ家事労働をしているわけじゃないんですよ。
(け)うん。
「誰得なテンプレをやめよう」
(ふ)だから、私の方の「お腹すいた」と、「けいこさんが趣味活動をした結果料理ができる」っていうののタイミングを同期させるっていうのが、私にはけっこう大変で。
これもまた「他者としての二人の時間」みたいなテーマの話になるんだけど。 だから最近私がご飯を別々に食べたりしてるわけだけど。
相手のための食事を用意する家事労働としての料理ってあまり楽しくないだろうし、時間的な制約も出てくるから・・・出すタイミングみたいな、相手の時間に合わせて、相手の体調や思考に想像を巡らせたりということが大変なことになってくるから。
(け)楽しくないことは無理です。
(ふ)けいこさん「無理です」って言ったけど、そうなんだよね。無理なんで。私の場合、そういう「能力」っていうか、そういう「人のために無理をするエネルギー」を仕事で使ってるので、もうないんですよ。自分という個体のニーズに合わない「テンプレの家族像」とかを、さらに無理しておうちでもやろうとすると、外で仕事してきて、またおうちでも労働することになるんですよ。テンプレ家族を演じるという労働を。これはマジしんどいですよ。麻婆豆腐うまいです。
なんか結局は「誰得なテンプレをやめよう」っていういつも話になるのかもしれないんですけどね。 それぞれの家、それぞれの人と、それぞれの家族同士の関係性で、それぞれの姿をとっていいと思うんですけど。
うちの場合はもうご飯も別々になってきてるし、なので、たまたま、たまに最小公倍数で”ポリリズム”がポンと合ったときにけいこさんが作ってくれたごはんを一緒に美味しくいただくっていうことはあって、それは楽しいひとときですけど。
けいこさんが私のために料理してくれるときはもう、あれです、作り置きをしてくれます。それは私のタイミングで食べられるようにです。本当にありがたいこと。私がお返しにしてるのは、けいこさんのタイミングでお風呂に入れるようにバスタブを洗っておくことだけれど・・・なんか私、別に、でも家事はね、得意なだけで好きではないんですよ。きたないおうちに住みたくないっていうだけで・・・誰かがやってくれるならそれでいいんですけど。
でも掃除とか片付けでも、やっぱり無意識が発現するので、自分で配置した棚とか見るのは自分の脳には気持ちいいですね。ただ同居人にも気持ちいいかはまた別の問題なのでアレですけど・・・少なくとも自分の部屋は自分で整えると、自分の脳とか潜在意識とかと一致するから、気持ちよくなるはず。
なんかねあれだよね、けいこさんが潤う「スペース」がもっと要るんだけど、それを作るためには、私が自分の作業量とかスケジュールをもうちょっと工夫しないと・・・緩めたら緩めたで世の中のスピードや時間には合わなくなっていくから・・・私の役目の難しいところですね。
でもけいこさんも頑張って世の中とか私とか他者のスピードに合わせてくれてるから、私も頑張ってけいこさんの方に手を伸ばすんだって思ってます。感謝です。
はじめ、今日のダイアローグのテーマは「感謝」にしよう、って言ってたんです。でも枯渇した心で感謝のダイアローグはできませんよね。
(け)ここまで話してみてどうですか?
(ふ)何か、まず今日メルマガ用のダイアローグができてよかったなっていうことと、 こういうテーマの話ができてよかったなっていうことと、またそれをこういうふうにおうちで家事をしながらできて良かったなって思います。新しいやり方というか、忙しいときはこのパターンかも。
(け)マルチタスクになるので大変です。
(ふ)今日はじゃあその点も合わせてくれてたんだね。ありがとう。けいこさんのそういう縁の下の力で成り立ってますが、大変なことはしたくないので、事前に言ってくださいね。
(け)ありがとう。作り置きを作る時間ってのも必要なんだよね。
(ふ)今日「対話の勉強会」でもらったりんごを食べよう。「ありがとう」が口癖の人からもらったリンゴ。ありがとう。
(了)
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