見出し画像

主人公になってみたい



主人公に憧れていた

ある日、屈辱的な敗北をして
血を吐くような努力を積み重ねて
信頼できる仲間ができて
あの日の借りを返しに行く的なノリでまた立ち向かう。そう、スポーツ漫画の主人公のように。

最弱だから魔王なんか倒せないとバカにされてきた勇者がある日を境に色んな出来事に巻き込まれ
おかしな仲間達に出会い
勇者が来るまで待っていてくれる魔王を倒し
世界平和を勝ち取る。
そう、異世界の主人公のように。

まあそんなことはこの世界にあるはずもなく

僕は最近、こう思う
「自分は主人公では無いのだろうな」と。

振り返ってみれば
大会など順位が着くことで1位になったことはないし、負けてたまるかと思う相手もいない。

主人公と言えば、友のためならと、命を張ったり大きな大会で苦戦しつつも最終的に優勝したりするのが一般的だろうが。

友のためならと特別かけられるものもなければ、
大きな大会に出てもそこそこ止まり。ましては僕は他人と競うことに興味が無い。

(争いに興味が無いほど最強なのではない)

昔からそうだ、これは親にも言われた。
「お前は昔から競うことを嫌っとったな」と、人と競うどころかあまり他人に興味が無いように見えたとの事。

そう、僕は人に興味がない。
だから、負けても悔しくない。

負け惜しみのように聞こえるだろうか。
でも本当に興味が無かった。

大好きなスポーツはある、大好きなゲームや漫画だってある。でも自分の好きなもので負けてもなんとも思わない。「強いねー」で終わり、また頑張ればいいやとすぐ立ち直る。

これを羨ましく思う人もいるが、僕は少しこの悔しいという感情に憧れている。いや別に悔しいと感じたことは無いのかと言われれば、ないことも無い。ただその悔しさが明日をがんばる原動力になったことは無いんだ。

競うことを嫌っていたから負けなかった。
だから物語も始まらなかった。


競わないという防衛策

でも最近気づいたことがある。
競わないのは
「競いたくなかったから」
ではないのか?と

昔から僕は運動も勉強も出来なかった。
成績はいつも下から数えた方が早いし、運動は苦手分野だけ授業をサボっていた。
無駄にプライドが高かったせいでそのことをみんなに知られたくなかったのでは無いだろうかと。

少年期や青年期の内省(心理)に関する本を読んでいてこのことに気がついた。知りたくない事実ではあったがあまりにも当てはまるからしぶしぶ理解するしかった。

振り返ってみて当てはまることがいくつもあった。争わない、競わないのは自分なりの防衛策だったのかもしれない。自分の無いに等しい尊厳やプライドを守るための。

自分には競う力がなかった

実力がなかったら競わなかった。
競う力がなかった。
だったら見せれる実力があれば、競う力があればそのうえで本気でぶつかれたなら、僕は心の底から悔しいと言えただろうか。

本当に本気で向き合えるものに出会って
試したいと思うまでの実力をつけて
戦えるだけの力があれば、戦うことを選ぶのだろうか。

あの時からそう思えていたなら。

今だったら、と淡い信頼を寄せて

僕は大学1年生の時、ダイエットをした。
これは他の記事でも書いているが、初めてデブであることを自覚したのだ。そこからダイエットを1年かけて行い、マイナス20kgの減量に成功した。大嫌いだった運動を習慣化し、今では多少なりとは動くことが出来る。

勉強もそうだ、勉強法について勉強し、僕は苦手だった勉強を克服した。中学高校の頃は赤点のオンパレードであったが大学に入ってから僕はいわゆる優秀な人の枠に収まっている。テストの成績が1位では無いもののそこそこのラインにいるからだ。

競うことを避けていた勉強と運動で、今僕はそこそこの実力があると自負している。というか自負できるようになった。

でももう遅かった。

競える時期に競えなかった

大学でスポーツテストなんかないし、大学の成績は点数を競うものでもない。自分の将来のために学習をする場所が大学だと思うし、実際にそうだろう。

大学生で50メートル走して何になる?
女の子にモテるか?
いやモテない、それは制服を着てる時期で終わり

大学でテストの点数を競って何になる?
教授から褒められる?
いやそんなことない
「自分のための勉強だろ?」と一蹴されるに決まってる。

みんなで競う時期に僕は競えなかった。

あの時主人公になれたのか?

もし小中高の時、醜いプライドを捨てて、出来なくても競うことを選んでいたなら、そこに主人公のようなストーリーが生まれたのだろうか。

スポーツテストで最下位だった奴が1年努力して評価Aまで行った物語。てきなね?

出来ない自分を受け入れ、ライバル達と共に歩むことを選んでいたなら僕は10数歳の主人公になれただろうか?

1度でいいからみんなが競いたい分野で競って見たかった。勝って嬉しい、負けて悔しい。
その淡い感情をは一体どんなものだったのだろう。

いや違う
ずっと悔しかったのだ。
できないことがずっとずっと悔しかったのだ。
小学校、中学校、高校での生活で、ずっと。
それが爆発したのではないだろうか。

でなければ自分がデブであることに気づいてからの行動の速さは説明がつかない。長年積み重ねられてきた「悔しさ」が衝動的な行動を産んだと思っている。それは確かに今の自分に繋がっているのだと思うと少し嬉しい。

主人公になれなかった。
でもやっと主役にはなれている気がする、もちろん自分の中だけですがね。

主人公にはなれなかった。
でも主人公にはなってみたい。

底は経験した、あとは上がるだけです。
もしかしたらもう物語は始まっていたのかもしれません、ね。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集