
AIに積読する気持ちは分からない
ある日ふと思った。
「AIは積読するのかな?」と。
大丈夫、笑った方は正常です。僕も笑いました。
どう言う質問なんだと思いつつ、真面目に考えてしまった。
わざわざお金を払って買ったのに読まずに置いておく、そんな非合理的なことをAIはするのだろうか?
AIに人の感情は分からない
少し前にこんな本を読みました。
この本の中で著者は、AIは高機能な計算機でありAIが感情を持つことはない。と仰っていた。
AIができることは所詮計算であると。
だから非合理的な人の感情が入り交じる事象をAIは予測できないということだ。感情は予測できないし数式で表せない。怒りの二乗とかないわけだ。
積読なんて人間である僕ですら何故するかわかってない。読書人にとっては課題であり、誇らしいものであり、旅の入口である。
そんな複雑な事情や感情が入り交じる積読という行為に合理さなどないし要らない。
AIに積読させることは可能なのか?
AIが積読をする?
そもそも身体を持たないAIは書店に行けない。
積読という行為はデジタル上でも起こりうることなのか?本のデータはあるが開かずに置いておくみたいな?
いや違う。
本を買って読む、ないし積読するという行為そのものが「人間だけの行動」なんだ。
人間にしかできない、感情や事情が複雑に入り交じる人間だから、買っても読まなかったり、書店でウキウキしながら本を買ったりできるのだろう。そもそも感情も身体も持たないAIにそんなことは出来ない。
まだまだ本の世界に社会が不可侵のようでなんだか嬉しい気分だ。
だから読書には神秘的で素晴らしいものがあるのだ。人間にしか出来ない、全く合理的じゃない、人間の都合の行為、その一つ一つの行動にその人の個性が出る。
どの本を読むのか
どの本を積むのか
どれを再読するのか
複雑に入り交じる事象と感情の中で選択されるその行為は説明しきれない、だから読書は面白いのだろう。
だから人の本棚や人が選ぶ本は気になる。
今日書店で「汝、星のごとく」を抱えて書店を回っている人に出会った。
その素晴らしい物語をまだ読んでいないのかと思うと、羨ましく思った。
あの感動をあの人はこれから味わうのかと。
羨ましさとすこしの嫉妬、そして共感があった。
ほら本には感情が付き物だ。
だから素晴らしい、だから美しいのだな。
なんの話しだっただろうか?
あ、AIに積読はできません!