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#教養のエチュード賞について

#教養のエチュード賞 なるモノがnote内で開催されてるので参加。その主催者が10年以上前、オパンポン創造社にも出演してくれた嶋津君だからってのが大きな参加動機であるけれど。

さて、教養についてなのだけど。

◆僕に教養はない

で終わり、たい題材。

厳密には"ない"と言うか教養について胸張って語る言葉と自信を持ち合わせてないのと、教養の詳しい意味を本当に知ってるのかが不安なのです。ので不安解消の為にGoogleに聞くところから始めよう。

◆教養(きょうよう)とは:個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。 これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。

なるほど。

では、僕は演劇の事ならば語れる。教養がそういう事ならば、演劇ならば多少の教養を持ち合わせてる。と20年ほど演劇を続けてきたのだから答えたいし、答えれなければ恥ずい。

超恥ずいし、このエチュード賞は良い試み

この題材と向き合うという事は、自ずと自身の人生を振り返るという事だから。

教養を語る、それは自身の人生を語ること

貴方はどうやって生きてきましたか。

このエチュード賞に応募してきた記事を読めばそれぞれの人生を覗き見れるんだと思う。

僕はと言うと、演劇しかやってこなかった。そして、この人生は演劇だけで終わることでしょう。人によってはこれが寂しい人生に映るかも知れないけれど、そんな事はない。

演劇とは、趣味も家族も友達も仕事も恋も失恋も喧嘩も食事もSEXも思い出(過ごした日々)全てが演劇のタネとなり花開く可能性を秘めているものだから。

そしてそれはどんな職業にも生き方にも言える事なのかも知れない。どんな感情や出来事にも貴方の教養へのタネになるはずだから。主婦の生活の知恵から生まれたヒット商品がこの世に数え切れないほどあるよう、そのヒット商品を使った人の生活が少し華やいた事もあるように。「この中でお医者様は居ませんか?」なんてドラマティックな場面で煌めくことがあるかも知れない。そして好きなあの子との会話を弾ますものでもある。色んな生き方が、貴方の命を燃やした日々の結果が教養となり、その貴方の教養が他の誰かの日々を彩る。

昔、父親に言われた「なんでもええから、好きなもん一つ見つけろ」はそう言う意味だったんだろう。

人生は長いようで、振り返れば短い。

僕はバカだし不器用だから、演劇(表現)以外の教養は一切ない。一切ない上にそれすら足りていない自覚がある。あるからこそ真摯に向き合うべきだと言い聞かせ日々過ごす。

そうして一つずつ培えた教養は誰かの人生を彩るものであるのと同時に自身の人生を豊かにするモノであると信じて。

この参加ルールとして2000文字〜5000文字らしいからこのままだと文字数足りない。けど、ここで記事を終わろうと思う。この記事の目的はこの賞を狙うことではないから。

主催者である嶋津君の教養(過ごしてきた日々)に最大の賛辞を送り、この催事が大盛況で幕を閉じることを願い筆を置く。





どうだい?

教養ある終わり方だろ?賞金くれよな!



スキを押して下さる方にまずは感謝を。その1つ1つが次への原動力になります。ありがとう。野村有志(オパンポン創造社)