同居人へ

158日目(4月18日)

 長期休業も半ばにさしかかってきた今日このごろ、私の部屋には虫が湧くようになった。いや、これは表現が良くない。この表現ではまるで私の部屋が虫が湧くほど汚い不衛生な環境だと言っているみたいじゃないか。正直、それほどでもない。友達には「絶対お前の部屋よりは汚い」と豪語している私だが、実際のところは大したことないのだ。そこらへんに書類や衣類が点在し一見足の踏み場がないように見えるが、片付けようと思えば5分で片付く。もちろん食べかけの弁当や飲みかけのペットボトルなんてあるわけが無い(なぜなら汚いから)。散らかっているのはあくまで表層、浅瀬。したがって私の部屋には虫は湧かないはずなのだ。
 なぜ羽虫がいるのだろうか。本棚のそばで小さい羽を必死にはばたかせ、頼りない軌道を描いている。このはばたきに音を付けるなら「ぷ〜ん」だろうなと思った。「ぷーん」でも「パタパタ」でもなく、「ぷ〜ん」だなと思った。“〜”を絶対に使いたくなる確立された貧弱さ。それをひしひしと感じさせる軌道はひょろひょろと落ちていくようにも見え、実際羽虫は下降していった。床に落ちたあたりで私の目には見えなくなってしまい、まばたきを後悔した。なんとなく、もう少しだけ見ていたかったのだ。たたきつぶそうという気は全くなかった。
 一人で部屋にいることが多い人は分かると思うが、小さい虫に愛着が湧いてしまう。普段なら指で弾き飛ばしてしまう取るに足らない存在が、一対一になるとそうではなくなる。人間と虫ケラという関係よりも、この部屋の住人同士という感覚が強くなる(もちろんこれが私の一方的な醜いエゴだということは承知している)。なのでいつも通り指で弾き飛ばすようなことはできなくなってしまう。それをしてしまうと、途端に自分の孤独が強まる気がするからだ。もともと一人なのと、二人から一人に減るのとでは話が違ってくるのだ。
 思い返してみると、私の部屋は虫がよく出る。ゴキブリは当分出ていないが、先程の羽虫やクモやらはよく見かける。羽虫は分からないがクモは益虫らしいので見かけても特になんとも思わない。あるとすれば、「挨拶くらいはできたらいいのにな」というくらいか。この他は、可能性は低いがナメクジがいるかもしれないくらいか。過去に部屋で飼おうとした際に一晩で脱走されてしまい、そこから行方知らずだ。死んでいないといいのだが。

 こっちも殺すつもりは無いのだから、もう少し友好的になれないだろうか。同居人としてコミュニケーションが取れればこの休みももう少し楽しくなるだろうに。そう思って「元気ですか」と呼びかけてみる。本棚の隙間から、「煩い」と聞こえた気がした。





#日記

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