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リテラシーを育てること

リテラシーって何のことか知っていますか?

端的に言うと、「読み書き能力」のことです。

では、文字が読めて書けたらいいのか?

そうではないですよね。

今の時代に必要とされている能力は、正しく情報を理解して、適切に表現できることです。

インターネットの普及により、一つの事実に対して複数の情報がつきまとっている現代において、何を取捨選択するかは個人の責任が大きくなっています。

例えば、コロナウイルスをやっつけるために26℃のお湯を飲んだらいい、だなんてデマだとすぐに気付けませんか?人間の体温は常にそれ以上ですよね?また、温度が間違っていたとしても、人間の体内では体温以下の温度もそれ以上の温度も保てません。そして、体温でウイルスが死滅するならばそもそもコロナウイルスに人は感染しません。

少し考えたら分かることなのに、なぜ人は受け取ったものをそのまま信じるのでしょうか?

それは、心が動かされるからです。恐怖を何とか鎮めたいと思うと、恐怖を取り除くために都合のいい情報を取り入れやすくなってしまうのです。

よく、真実を知るのは怖いと言われますが本当にそうでしょうか?

私はそうは思いません。

直視したくないのは真実より事実です。

事実は客観的なもの、真実は主観的なものです。

事実は動かしようのないもの、ただそこにあるものです。例えば、現時点でコロナウイルスに直接有効な治療法はないということですね。

真実は、その人にとって正しければ真実になり得ます。真実の根拠はいかにその人の心が揺さぶられたか、ということです。このときに科学的データに揺さぶられるか、聞こえのいい情報に揺さぶられるかはその人次第です。お湯を飲んでいればウイルスは死滅する、自分でも対処できることがあると自分を安心させられたらそれがその人にとっての真実なのです。

では、本来は徹底的な手洗いや咳エチケットが何より有効な対策なのに、そこに安心を感じないのはなぜなのか?という疑問も生じてきますね。自分でできる最も簡単なことであるはずなのに。それは、目新しさが足りないからです。

手洗いや咳エチケットは普段から言われていること過ぎて、それだけでは足りないのではないか、と勝手に心配が先走るからです。他にもっともっと、と求めると聞こえのいい情報に心を動かされてしまうのです。

なぜ手洗いや咳エチケットが有効なのか、という理由まで知っている人は、手洗いや咳エチケットがかなり重要な予防方法であることを理解し、日常生活における心配度は薄れていきます。しかし、何となくいつもの感覚でしか手洗いや咳エチケットについての認識がなければ、不安は高まります。

※もちろん、適切な予防をしていても罹患する可能性はゼロにはならないことは承知しています。

本題に戻ります。

真実と事実の違いは、大学の教員養成過程のある科目を履修した際に考えさせられたテーマです。というか、期末試験の問題だったんですよね…こんな哲学的な話題はそれまでの講義で扱ったかどうかも定かではなかったので、少々面食らいました。でも、昔見たドラマのセリフに印象的なことがあってよく覚えていたので試験は難なくクリアしました。

もううろ覚えですが、そのドラマの1シーンです。

↓↓↓

【森の奥にキノコが生えているらしい。これを聞いてあなたはどうする?】

【私は確かめに行きたいです。本当に生えているかどうか。】

確かめに行くのはなぜか、事実と真実をイコールで結びつけるためですよね。

これは例え話なので、すべての事象についてこうするべきということではありません。しかし、本当の真実をたどり着くにはプロセスが必要なことを示唆しているのではないかとも考えられます。

自分にとって本当に重要なことならば、事実と真実を結びつける努力が必要です。

現在のコロナウイルス然り、環境問題、健康食品、資産運用、子どもの早期教育、挙げればきりがないほど情報は過多で情報の取捨選択に迷う問題が世の中には溢れています。

真実と事実を区別できているか、確認してみませんか?

あなたのリテラシーは育っていますか?

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