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中学受験の意味と意義

 4月になると、どの小学校でも新学年が始まります。
この春6年生になった小学生は、今気分も新たになっていることでしょう。しかし今年の中学受験は、もう既に始まっているのです。

 どこの塾でも、2月が新学年スタートの時です。
2月1日から、東京の御三家を始めとする中学受験が始まるからです。
その受験が一段落した2月10日頃から、新6年生としての授業が始まっているのです。
算数では「整数論」「規則性」「場合の数」といった分野から、カリキュラムを始める塾が多いでしょう。

4月には、塾大手の四谷大塚の「志望校判断模試」があります。
ここで、志望校の合格可能性が出てしまうことになります。
他の塾でも、4月に「公開テスト」を行うケースが多いはずです。

何のために中学受験をやるのか。
動機は様々でしょう。
「地元の公立中学に行きたくない」
「ご父兄の出身校がとても良かったので、子供にもそこにいかせたい」
と言う話はよく聞きます。

それに加え、昨今よく聞くのが、
「コロナ対策のため、リモート授業への対応が迅速で的確だった」
と言う私立中学の対応に関する評価です。
子供を預ける先として、安心できる私立中学にしたいという親心なのでしょう。

いつの時代でも、アクシデントと言うものは避けて通れません。
10年前の東日本大震災の時、東京で多数の帰宅困難者が出たことから、遠距離の学校は避けると言うことがありました。
ある程度、時期ごとのトレンドはあるのですが、今後も、受験者数が減ったとしても、受験そのものがなくなる事は、まずないでしょう。

と言うのは、日本には古来から、「私塾」と「私学」の長い伝統があるからです。
江戸時代の「寺子屋」が良い例と言えるでしょう。
江戸末期から明治にかけて、多数の幕末の志士たちを輩出した、吉田松陰の「松下村塾」などは、1つの教育の理想型として歴史に残っています。

今をときめく慶應義塾大学も、元は「慶應義塾」と言う福沢諭吉個人の私塾でした。

義務教育ではない「私学」が、教育の主体的役割を果たしてきたことが、「日本人の精神文化として定着している」と言っても過言では無いのです。

義務教育は、1872年の学制に始まります。
しかし当時、登校する率はとても低く、半分にも満たないものでした。
4年間の小学校初等教育に、反対者は多かったのです。
国民全員が、初等教育を受けると言うのは、近代国家の1つの理想ではあります。

しかし、同じことをやるにしても、
義務で嫌々やる」のと「自主的に主体的にやる」のとでは、その意味や効果が全く違います。
ここに「私学教育の本質と意義」があるのです。


強制されたからやるのではなく、「自主的、主体的にやる」ことが重要なのです。
中学受験は義務ではありません。
法律で強制されるものでもありません。
日本では、80%以上の小学生は、受験をしません。

私は、33年間、中学受験の指導をしています。
そこで一貫して言っているのは、「中学受験はやるだけで偉い」ということです。
なぜなら、中学を受験する生徒たちは、やらなくて良い受験をしているからです。
偏差値うんぬんを言うのは、その次の話です。
「何のために中学受験をしているのか」と言う意味と意義は、ここにあります。

江戸時代に義務教育ではない「私学」や「私塾」に通っていた子供たちのように、「自主性を身に付けること」が教育の最終目標です。
これが福沢諭吉のいう「独立自尊」の精神なのです。
これこそが、「私学受験の原点」と言えるでしょう。

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