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どのトキメキを守りたい?


長期的な努力をつづけていると、初期衝動を忘れてしまう。「できるようになりたい」「やってける自分になりたい」という柔らかい気分を、そのままの形で手垢をつけずとっておく方法は少ない。たとえばいい感じの音楽を聴くことくらいしかない。それすら、他者の言語であることには変わりないので、気分の丸い輪郭はすこしずつすこしずつ損なわれてしまう。だから何というわけでもないのだけれど、この気分くらいは言葉で書き残してもいいかと思う。今の私が好きになった仕事、好きになった人、好きになった場所、そういうものを去年より大事にできる自分になるように。

テンポがいいと話題の新作アニメのような急展開で、すべてが進んでしまえばいい。そう思う時に押せるボタンには大体「やめる」というシールが貼られている。その時々で、何をするにも仕方が無い理由があったのだけど、人からすれば贅沢でチャンスを手放しているように見えたかもしれないと思う。今だから、自分だから思えることで、それを人に言われても理解したかわからないけれど。

どうしたら、はじまりのトキメキだけをリュックにいれて、欠けさせないまま野菜のある庭まで持ち帰ることができるだろう。あるいは、そんな工夫をする必要はないのだろうか。ガムを口の中に入れたっきり、何日も何日も噛み続けて軽蔑される子どものような執着かもしれない。しかし、誰にも言わずにとっておきたい感情に指紋がつくことに、大切なひとコマのひとつひとつの線が薄くかすれていくことに敏感でいられなくては、また何かの拍子に台無しのボタンを押してしまう。我慢することに抵抗を覚えない人がいるように、私はボタンを押すことに馴れすぎている。

ボタンを押すのもまた、ひとつのトキメキだ。大きなスポットライトは、始めることと終わりにすることにだけ反応する。でもしばらくは、べつに眩しくなくても、ひとの目を見て話すには充分な明るさのある場所で、意地汚くガムを噛みながら、指一本動かせないくらい疲れてみたい。そう思うのだ。

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