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恵方巻って名前が誰でも使える世の中で良かったよねって話(含む知財話)

このNoteを書いている今日2021年2月2日は節分。そう、恵方巻の日です。1974年(昭和49年)生まれの私、幼い頃は恵方巻ってなかった気がします。

今回は恵方巻って誰でも使える世の中で良かったね。
いったい、誰が恵方巻って名前の独占を防いだのか?商標登録制度の”登録しない”活用について書いてゆきます。

「恵方巻」の名称、安心してみんなが使えるものだったとは言えない!?

実は恵方巻の名称がビジネスで自由に使えるようになったのは自然にそうなったわけではなく、法的に権利の所在がないことが明らかになったから。

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当時の記事を見つけました。下記リンクから引用https://mir.biz/2007/02/0222-5513.html

恵方巻の歴史、意外な広島との関係

諸説ありますが、恵方巻は関西が発祥とされています。

1932(昭和7)年に大阪鮓(すし)商組合後援会が発行したビラも確認されています。(熊本大学 岩崎准教授)

【「幸運巻寿司」をPRするためのビラの内容】
この流行は古くから花柳界にもて囃されていました。それが最近一般的に宣伝して年越には必ず豆を年齢の数だけ食べるように巻寿司が食べられています。これは節分の日に限るものでその年の恵方に向いて無言で一本の巻き寿司を丸かぶりすればその年は幸運に恵まれるということであります。宣伝せずとも誰言うともなしにはやってきたことを考えるとやはり一概に迷信として軽々しく感化すべきではない。
(引用)
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/hoku-hoku-sei
その後、終戦、高度経済成長期に恵方巻の風習が復活して行くその後、高度経済成長期に突き進む日本で、この「風習」を利用したのが、スーパーマーケットとコンビニエンスストアだった。

「全国展開の基礎をスーパーがつくり、結実させたのはコンビニです」(熊本大学 岩崎准教授)

1970年代後半から、大阪の海苔組合や厚焼組合などがビラを発行し始めた。大手のスーパーマーケットから依頼されたものもあったという。ただ、どれも「昔の言い伝え」などとしているだけだ。

1999年のすし組合のビラでは

江戸時代の末期若しくは明治の始め頃から大阪の中心地、船場が発祥地とされております。商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが事の始りです。一説には若い女性の願いである好きな人と一緒になりたいという祈りから広く普及したとも伝えられております。

同教授はすし組合のキャッチコピーによって怪しげで不可思議な風習が、本物であることの装いをまとったのでは?と指摘しています

トレンド先取り!恵方巻と私、運命の出会い

私と恵方巻の出会いは1989年。ちなみに恵方巻の全国展開は1998年。全国最大のコンビニ、セブン-イレブンによるものでした。

セブン&アイの広報担当者は、BuzzFeed Newsの取材にこう語る。「1989年に広島県の一部店舗で『太巻きを節分にどうぞ』と売り出してみたのが始まりです。2月は催事が節分しかなく、関西出身のオーナーが関西では節分に太巻きを食べるという風習があることに目をつけて、おすすめしてみたそうです」オーナーの目論見は功を奏し、そのまま横展開が広がった。全国展開が始まったのは、1998年のことだ。

売り上げは年々増加している。2016年は、664万本が販売されたという。

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引用:https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/hoku-hoku-sei

ここで登場、広島。実は広島での販売店舗が私の行きつけ店舗。

結構がちがちのマニュアルで仕入れルールに厳格なコンビニチェーンの店舗で独自の(それも生ものの)お寿司置いて販売したこともいろいろありますが、まぁそれは置いておいて、この店舗でウケた事が全国展開のきっかけでもあり、私と恵方巻の出会いでもありました。

当時、私は友人と共同でホームページ作成ビジネスを始めたころでもありました。海外法人を設立し、日本支社を立ち上げて日進月歩の技術に追いつき、まだ中小企業でホームページを持っていないところがほとんどだった時代、ちょー忙しかったです。

そんな中、お昼に入った某すし屋(例のコンビニの超近く)でランチを食ったことで色々事態が動き出しました。

ランチ営業が終わる直前、町のすし屋さんに一人で昼めし食いに行った時の事。店内は私一人、カウンターには怖そうな大将。注文するも何もランチは1種類しかないので着席=発注の状態。

1、食ってたら私の携帯が鳴る→大将ににらまれる
2、大将に言って電話出る、急ぎでEmail見ろと。
3、(怖いけど)大将に言ってノートPCにPHS刺す
4、メール受信、即返信→大将 ガン見(超怖い)
5、PC片づけると大将が「兄さん、PC屋かい?」
        と話しかけてくれた。
  ネットやEmailの事など質問攻めされる。

実はこのお店、地元すし商組合の役員だったのです。

どうやら3の行為でこの兄ちゃんパソコン詳しいっぽいと感じた様子(笑)

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※懐かしい!って人もいるかな? 京セラのPHS Datascope。(テンキーの部分がノートPCにPCカードとして差し込めた当時最先端機種)

その後、すし商組合に出入りすることが増え、組合全体へITを推進するお手伝いをすることになり、会社として正式に県知事認可のもと、すし商組合の顧問企業となりました。

そして、恵方巻という名称と向き合う

組合の顧問になり、金融庁認可事業のすし券という独自の金券の電子化や予約プラットフォーム構築、各組合員のWebsiteについての業務などやってる中で、なんかキャンペーン企画しよう!ってことになったのです。

当方が顧問として案を出したのが恵方巻。

青年部や他地域の組合員さんと知恵を出し合ってスタンダードな恵方巻を議論する毎日でした。

そんな中、懸案事項が・・・

・回転寿司チェーンが名称独占を狙うのでは?
・非加盟店の○○が独占を考えているらしい。

などなど、考えてみれば知財をほとんど意識していない中で当然の懸念です

組合で名称をとるにしても、広島が名称独占するのはおかしい、全国じゃろ。とかうちの組合で申請するなどいろいろな意見もありました。

そこで当方が出した結論は
「誰のもんでも無くする。誰も公平に使える様にする」
というものでした。

なんか、おおごと(方言で大変な事)になった。

当初より考えていたのは組合じゃなく、私たちで商標を申請(組合は合議が大原則。いろいろあるけんねー)

①取得出来たら全国の組合総会合意の上権利を移転(必要経費のみ頂戴)
②取得できなかったら、だれのものでもない証明なのでいいじゃん

そして2005年7月に、けっこうカジュアルに申請書を準備し、申請しました。

申請の結果、拒絶通知が来る(想定内)
そもそも、そのまま意見を出すつもりもなかったのでほったらかして終了のはずが、まーいろんなところから問い合わせが!

取材もいっぱい来るし、なんか大物になった気分(笑)です。というのは冗談で、ちっちゃな会社が急に有名?になった感じです。でも、振り返れば目立つわなぁーっとちょっと反省も。

振り返れば目立つわなーって思う5つのポイント

・恵方巻という誰も知ってる名称を申請するってトコ
・申請会社が米国法人の日本支社ってトコ
・その日本支社ってITやネットなど謎事業ってトコ
・なのにその会社が県知事認可すし商組合顧問ってトコ
・日本支社が公的施設の中に所在してるってトコ
・できたばっかな会社なのに株式会社なトコ
(当時、株式会社はそこそこの資本金が必要でした)

取材に丁寧に答える事のむつかしさと、事前に計画を表明しておくことの重要性がよく分かって、ほんといい経験でした。

(ほんとは○○だったんです・・とか、言ってなかったんですけど実は・・なんて対応じゃなく、商標申請の目的、申請の意義など事前に作成された議事やメモ、提案書類など見ると、パテントトロール的行為でない事はちゃんと伝わりました)

振り返ればいろんな経験できた若い時の思い出でした。

結果的に(どこかの独占を排除できたので)恵方巻がメジャーになった要因の一部には貢献したんじゃないかなーって思ってます。

知財事案として考える恵方巻の名称事案

私と同世代の方、少し昔を思い出してほしいのですがコンビニやスーパーでの「恵方巻」って名前が違う時期があったでしょ?

まるかじり恵方巻、幸福恵方巻などなど

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※当時のコンビニ、スーパー各社の恵方巻関連表記
(まっすぐ恵方巻の表記じゃない事が分かりますね。言ってくれればよかったのに。。)

ちなみに言ったらどうなるのか??
実はこの時期、某チェーンのみ「恵方巻」で販売継続。それには大人の事情があったのです。ごにょごにょ(気になる人はメッセージくださいな 笑)

あれってなぜだったか分かりますか?これこそ登録商標の影響力なのです。

登録商標制度は、権利を取り、独占するだけではなく
権利が独占されないことを証明し、名称をオープン化する事にも使えると知ったことは、その後の人生に大きなプレゼントになりました。

いま、私は情報社会学という領域の研究者の端くれなのですが、この分野の研究学会である情報社会学会に属しています。クリエイティブコモンズがこの学会の分科会というか提携関係にあるようなので、この辺りも運命を感じてしまいます。

情報社会学会(The Infosocionomics Society)は、情報社会研究を目的とする学会であり、日本学術会議協力学術研究団体の1つである。従来の「社会学の一分野としての情報社会論」ではなく、政治学・法学・経済学・行政学・経営学などを含めた「情報社会に関する社会科学的アプローチ全体」をテーマとする。査読学術誌『情報社会学会誌』を毎年1回発行。また、ネット上の著作権・知的所有権に関する社会運動クリエイティブ・コモンズは、情報社会学会の分科会の1つとして提携関係にある。
Wikipediaより引用
クリエイティブ・コモンズ(英: Creative Commons、略称: CC)とは、著作物の適正な再利用の促進を目的として、著作者がみずからの著作物の再利用を許可するという意思表示を手軽に行えるようにするための様々なレベルのライセンスを策定し普及を図る。
wikipediaより引用

若い時、恥ずかしげもなく「オープンがパワーなんじゃ!」と青臭く言っていたけれど、間違ってなかったな。うんうんと当時の自分をほめてあげたくもなります。

当時は20代の若者だった私も気づけば50才が見えてきた中年に・・

振り返ると若い時に得た経験が大きな糧になっていると思う今日この頃です。

おじさんの半分は過去の経験からできていて
残りの半分は夢や希望で出来てると思う。

もし夢が減って、しまうと昔の武勇伝ばっかの面白くないオッサンになってしまうので、意識的に夢や希望の分量を増やしてゆこうと思ってます。

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