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「健康という船から降りて」 猪股東吾

4月某日、私は不意に倒れた。目の前は徐々に光に包まれ、真っ白く視界を奪っていくようだった。人は絶望する時に「目の前が暗くなる」などという表現を使うが、その逆であった。雪が降り積もるように世界は白く輝いていた。友人たちとオンラインで通話しながら、どうにかタクシーに乗り、病院に向かった。救急外来で待つ間に、もう立つこともできなくなった。這うように診察室に入り、CTの検査を受ける。薄れゆく意識の中、私の脳の写真を見る医師の口から「脳出血」という言葉が響く。そこから医療関係者たちの空気が一変した。

数週間後に担当医から聞かされたのだが、私の病名は「右後頭葉皮質下出血(みぎこうとうようひしつかしゅっけつ)」というもので、簡潔に言うと脳出血(脳溢血とも言う)であり、いわゆる脳卒中の症例のひとつだった。「脳梗塞」「脳出血」「くも膜下出血」など、脳に血液が流れなくなり、脳の神経細胞が壊死する病気の総称を「脳卒中」と呼ぶ。

例えるならば、先日逮捕された熊谷のラッパー集団「舐達麻」を脳卒中とする。そのメンバーにBADSAIKUSH(脳出血)、G-PLANTS(脳梗塞)、DELTA9KID(くも膜下出血)がいて、BADSAIKUSHは賽(脳溢血)とも呼ばれていた。という感じである。(どうしよう、例えを使ったことで分かりづからくなってしまったし、不謹慎な感じがする、話を戻そう。)

脳卒中は日本に暮らす市民の死亡原因の上位であり、死亡は免れたとしても重い後遺症が残る危険性のある病気だ。

しかし正直に言って、自分は実際に倒れるまで脳卒中が何かすら具体的にわかっていなかった。今になって考えれば、それは自分が健康である「特権」だったのかもしれない。「特権」とはいつもそれを持つ当人には見えづらく認識しづらいもので、それを持たない者からは逆にはっきりと認識できるものだ。「健康という船」から無理矢理降ろされた瞬間に、私はその船の存在にようやく気づいたのだった。

集中治療室のベットの上で、心電図や点滴などいくつかのチューブに繋がれ、天井を見上げているしかなく、自分の命が今、どういう状況なのかが全くわからないなか、「頭蓋骨を開けて脳の手術になる」可能性があることを聞かされた。もう倒れているんだけど、倒れそうというか、卒倒しそうな感覚に襲われた。頭蓋骨をパカっと開けて、その中をいじってまた蓋を閉じるのだ。想像するだけでとても耐えられない。気持ちが潰れてしまいそうになる。
私はぼんやりとした意識の中、「もう二度と煙草を吸わないこと」を神様的な何かに願い始めた。不思議な話だけれど、その頃には脳のどこの血管が切れたのか自覚できていたのだ。時折、咳をすると痛むその場所は、倒れる前、煙草を吸うとピキーッと刺激され覚醒する感覚があった。だからもうわかっていたのだ。今回の脳卒中の原因は入院時に220にまでなっていた高血圧であるし、その発端が1日3箱の煙草、もしくはそこまで喫煙せざるを得ないストレスであることを。

私はもう、人様の一生分の煙草を吸ったのだ。そう自分に言い聞かせていた。何より、映画「インディー・ジョーンズ 魔球の伝説」の冒頭で振る舞われる猿の脳みそのスープみたいに頭蓋骨を開けられて中をいじられてまで、煙草を吸い続けるなんて、メリットとデメリットのバランスが悪すぎる。と、病室で叫びたい、悶えるような気分だった。他のベッドから聞こえる奇声や呻き声も絶望的で、死神に片腕をひきづられているような無力感は、ちょうど辺野古や高江で機動隊に全身を掴まれ、運ばれていく感覚に似ていた。


ふいに担当医から話があり、脳の手術が回避されたことを告げられる。ただ、静かに涙が溢れていく。ひとりでも涙は温かいものだ。
あの日、すぐに病院に来たことが功を奏した。それを促してくれた友人たちには心底に感謝している。独りならば、明日の朝まで様子を見ようなどと横になって、もう手遅れになっていたかもしれないのだ。

入院から何日が経った頃だろうか、初めてベッドを降りて車いすに乗った。「健康という船」に乗っている皆さんには驚かれるかもしれないが、ベッドの上で、しかも30°以上体を起こしてはいけないという縛りのなか、複数のチューブに繋がれ、しびんで用を足していた者にとって、車イスは自由な世界へ通じる輝かしい乗り物に思えた。
振り返れば、その頃、伊是名さんへのバッシングの件で「誰しも明日、車いすユーザーになる可能性があるのだ」というようなことを言っていたら、まず自分がそうなったのだ。我ながら、自分の未来に呪いをかけるような言動をしてこなくて本当に幸いだった。
この先、車いすで生涯を過ごすようなことになっても、自分は気高く、意気揚々と生きていくのだと心を決めた。


「健康という船」から、突如ひきづり下されて、小さな離れ島のベッドの上で、「健康」な人たちの様子を見ているだけになってしまった僕だった。しかしだからこそ、今まで見えてこなかったものにぼんやりと気づき始めていた。

普段、リベラルを装い、人権などを語りながら、倒れて置き去りにされた人間に対しては割と冷淡な人々がいることもわかった。どんなにきれいに政治や民主主義が語れても、自身の特権性を理解できず、他者の人権を踏む人間の多さにも気づかされた。その人物がインターセクショナリティ(交差性、あらゆる差別や抑圧は、複雑に被害と加害の属性が入り混じるということ。マイノリティは局面においてはマジョリティになり、その逆も然り、われわれは常に自己のポジショナリティ、特権性を自覚していないと、他者を踏みつけてしまう。)を理解しているかどうか、それがはっきりとわかるようになった。健康という特権を失ったが、転んでもタダでは起きない。私はやはりそういう人間だった。
そしてもちろん、多くの人々に勇気づけられた。自身は「健康という船」に乗りながらも、置き去りにされた僕を日々気づかってくれるヒューマニティに溢れる人々が確かに存在していた。その言葉や気づかいひとつひとつに涙が出る想いだった。この場を借りて皆さんにお礼を言いたい。

本当にありがとう。


後遺症は今だにある。もっともダメージを受けたのは脳の視覚野だ。目を閉じていても左側にずっと「まっくろくろすけ」のようなものが走り回っている部分がある。しかしこれでもずいぶん回復したのだ。入院当初は左側がほとんど見えなかったし、人の顔もわからなかった。Twitterのアイコンも見えなかった。日々の地道なリハビリで回復したのだ。

リハビリにもいろんな種類があるものだと知った。ペーパーに書かれた文書の中から時間内に「あいうえお」に丸をしてその正確さを競うものや、色のついた積み木を図面通りに組み立てるものなど、なんだか小学校受験のような感じだったが、これが案外難しく、「あいうえお」探しは当初、驚くほど間違っていて、自分の現状に落ち込んだりもした。しかし、療法士さんもとてもポジティブだし、主治医や看護師さん、介護士さん、清掃担当者など、さまざまな属性の方々がとても明るく、しかもその明るさに人間への深い慈悲のようなものを感じ、私はそんな空気を吸い込んで、温かく肯定的な気持ちで療養することができた。

そして、リハビリ室でも病室でも、私がたいていもっとも若い。他は70歳から90歳ぐらいの方々がほとんどである。しかし、私の倍ほどに歳を重ねたおじい様、おばあ様たちが回復を目指し、毎日、地道にリハビリをしている。毎日毎日、コツコツと日記を書いているおじい様もいた。そんな姿を見て、38歳の自分が絶望などしている場合ではないと察した。人間は何歳になっても明日を信じているのだ。きっと何歳になっても、心臓が動かなくなるその日まで、僕ら人間は希望を持って生きるのだと感じた。そう思うと、まだまだ飛び跳ねるような力が自分の中から沸き立ってくる気配がした。

病院の窓から海が見えた。あの日、おれは死ぬかもしれなかった。
まだまだやらなければならないことが山積みだ。
2021年5月15日。沖縄は復帰49年を迎えた。来年は復帰50年だ。
今年の復帰の日は、本土復帰ではなく、日本復帰という言葉を使う人を多く見かけた気がした。時代は少しずつ変わっていく、価値観も言葉も少しずつ、しかし確かにアップデートされてゆく。
世界は社会は圧倒的に狂っていくのか?それとも人々は過ちに気づき、踏みとどまるのか?沖縄は連日、コロナ感染者の記録を更新してしまっている。脳卒中の再発リスクをかかえた私には文字通り死活問題だ。そしてそういう人は案外、たくさんいるのだ。忘れないでほしい。

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海の匂いが濃い。タバコをやめたからだ。
以前は「煙の中に住んでいる。」「煙草と結婚した。」と揶揄されていた私だが、禁煙しもうすぐ2ヶ月になる。最も懸案なのが煙草を吸わないで文章が書けるかのか?という点だったが、この文章を書きながらその不安も見事に解消された。

海も山も、雨も太陽も、今までよりも匂いが濃い。
やんばるの風の匂いは、風向きによって微細に変化する。山の匂いと海の匂い、湿度、天候、毎日、多様な表情を見せる。

そんな小さいことに期待しながら、今は生きている。

この完全に狂った国で、呪われた社会で、爆弾も作らず、犯罪も犯さず、税金まで納めながら生きている。そんなあなたのことを私は大切に思っている。きっとまだ人生は続くはずだ。連帯しよう。


これを書きながら、ちょうど今、私は39歳になった。
パンデミック下でリハビリをしながら迎える30代最後の歳、

どんな1年になるだろう。

そういえばストーカーが私の近くまでに来ているらしいので、警察と弁護士に相談をした。

私は生きのびる。皆も、どうにか健康で。

またどこかで会おう。

猪股東吾

※お見舞金を入れてくれた方々にも改めて感謝します。本当にありがとうございます。

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