高尾山登り

自宅から数分、旧170号線を横切ると、ぶどう畑の向こうに砂防ダムに描かれた智識大仏(金色の仏像)の壁画が見えます。聖武天皇難波宮行幸の際にこの辺りにあった智識寺の廬舎那仏に参拝されて、この縁で東大寺の大仏を建立されたということです。自宅のベランダではこれを見ながら体操をしています。この下に展望台があって、ぶどうの小道と名付けられた山道を通って、そこまで登ることが多いのですが、今日は手前で左折して、高尾山(たかおやま・標高278m)の方に行きます。

左に曲がって高尾山に向かうのですが、その道にぶどう畑を壊した空き地がありますが、先日ここで湧水を使って農具を洗っていた人がいました。今日はその時使っていたペールが白木の工作物の上に置かれています。農家の人はこのようなⅮIYは簡単にできるようです。関電道路を横切ります。皿池という名の池が入り口付近にあります。この道は大県神社の境内につながっています。

皿池を振り返ってみるとジョイネス柏原というマンションがあります。信貴山につながる関電道路がくねるように山上に向かっているのが見えます。

大県神社の手前の遊歩道に入っていくと、黒い茸と白い茸の生えた木がころがっていました。昨年梅雨明けの頃に上がった時には15cm位の大きな茸がこのような木に山盛りに生えているのを発見しました。あれはどうなったのでしょうか?

道はいくつものコースがありますが、頂上は鐸比古大神(ぬでひこだいじん)の社があります。道の所々で水仙が満開です。

『エネルギー体操』の実践

 1年ほど前は、走る様にこの道を登りましたが、いまは、全身気を抜いて上って登っています。『エネルギー体操』なら気を入れるのではないかと思われるかもしれませんが、全身リラックスします。つまり、余分な力は入れないで、必要な気だけを十分に入れるということです。
 普段の生活の中では、自分さえ忘れて、仕事などに埋没していますが、いまは、自分だけでなく、自分と自然、それに自分を取り巻く人々とのつながりに思いを馳せます。生きるというのは、呼吸をし、動くことですが、何よりも、人生を輝かせるのは、人や環境とのつながりです。つながりによって、力が生まれます。自然の中で自分を見つめていますが、今回も下りの時に、人との出会いがありました。
 喜びの心で目、耳を働かせます。すぐ下が柏原の街なので、
「雪やコンコ、あられや...」
と、灯油売りの曲が聞こえてきます。ここは、半時間ほどで、こんな山の中(別世界)に入って来れます。

入り口には赤い鳥居があり、大きな石があります。その後は険しい道です。

ロープの道を登る

いたるところに綱が用意されていて、これを利用して上ります。60~70歳くらいの5人ぐらいのグループが下ってこられるのに出会いました。
「お元気ですね。」
と挨拶をすると、
「これくらいは何ともありませんよ。」
と、速いスピードで下りていかれました。スポーツでもなさっておられるのでしょうか、元気をもらいました。

昇りつめて、少し下ったところにこのような鐸比古大神(ぬでひこだいじん)の社があります。

抜群の展望

大和川や石川との合流など、展望は抜群です。

崖を下る人々

さて、帰り道なのですが、本日は大半の人が元の道を戻らず、この下の崖道を降りていかれました。私は初めて来たときはこの崖路を上ってきたのですが、登山靴ではないので恐ろしい思いをして、帰りはロープの道を下りました。

出会い

 本日も私はロープの道を下ったのですが、その後崖道と合流するところで60歳ぐらいの夫婦と出会って、
「怖くなかったのですか。」
と声をかけると、
「怖かったです。必死で下りましたよ。」
「初めてですか。」
「はい。水仙郷があると聞いて上本町駅からやってきました。帰りは法善寺駅まで行きたいのですが、どの道を下りたらいいのですか。カタシモワイナリーに寄って、ワインを買って帰ろうと思っています。」
「それなら、堅下駅のほうが近いですよ。私の帰り道ですから案内します。」
 落ち葉で滑りそうな道を
「足でしっかり踏みしめて歩幅を小さくして降りてください。」
と、注意をうながしながら、私はいつものように、自然の落ち葉の絨毯を楽しみながら下りました。
 帰り道で雑談をしていると、ご主人が高津中学の後輩だということが分かって、同窓会で会いましょうと名刺交換をしていただきました。
渡したのは、『エネルギー体操』の名刺です。これから、どんな展開があるのでしょうか。

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