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フィクションであってほしいと願う「愛国」教育の現状

大阪MBSのディレクターの斉加氏によるドキュメンタリー映画「教育と愛国」を観てきて、衝撃しか受けなかった。たしか私が中学3年生だった2007年頃に「新しい教科書をつくる会」が発足したというニュースがあり、ボランティア活動の顧問の先生と「マジかそれ!?」と彼らが掲げているご都合主義的な歴史観に啞然としたことを覚えている。
当時、所属していたボランティア団体では年1回、他のミッション系の学校と合同で歴史を学ぶフィールドワークを実施していたが、その年の場所が長野松代だった。松代といえば、画家の卵たちが戦地に行かされ、その様子を描いた絵が展示されている戦没画学生の美術館「無言館」、また防空壕の跡が残っていることもあり、予習として部活動の時間に戦時中の戦争遺跡や従軍慰安婦・戦没画学生について調べていた最中だった。どうやら「新しい教科書をつくる会」は、憲法9条を改正・第二次世界大戦中の日本には他国を侵略したことはない、植民地支配に置いていた国の女性たちを強制して慰安婦に連行した歴史はない、といったことをどうやら彼らは主張しているらしいと聞き、今まで受けてきた歴史教育が覆されようとしていることに衝撃を受けた。
そこから15年近くが経ち、高校・大学も卒業して学校の現状がどうなっているか全く分からなくなった中で、今回のドキュメンタリーを観に行った。予告編から既に歴史修正に賛成の各氏による発言がもう、開いた口がふさがらない。

戦前に回帰させるような歴史・道徳教育を推進している安倍元首相の「誇り高い日本人をつくる」、東大教授の「歴史に学ぶ必要はない」発言など、どこから突っ込めばいいのか分からないほど「話が通じない」と感じさせるインタビューが次々と出てくる。

彼ら言う「左翼」、戦後の過ちから学んで考える人は反日だ、日本人としての誇りを失わさせているということだが、そうと言えるのだろうか?そもそも、日本という国家に属していることに対して好感が持てなければ、我々個人としても誇りをもって生きていけないとも主張しているのだが、国籍のアイデンティティと個人は全く別物だと思う。マクロとミクロの次元をくっつけようとしているのも、政治家にとって都合のいい、異議を唱えない国民にさせたいという意図が透けて見えた。今年の連休中に強行されようとした、改憲についての審議会・また改正内容が戦前の全体主義に回帰しようとしていることを踏まえ、教育体制をコントロール下に置こうとしているのだろう。

映画の冒頭に出てくる子どもたちが、一見礼儀正しくて好感持てるが、その裏返しが教科書問題となる。このまま都合のいい教育が続けられると、自分の非を絶対認めず、いついかなる場合でも「道徳」を守り続けるという、他者の価値観を尊重する姿勢が抜け落ちてしまう、サイコパス味が増してしまう人間になる気がする。公立はおろか、私立に対しても”保守”たちの非難が殺到している現状で子育てすることにためらってしまった。改めて、日本の学校教育の現場を知ることができたと同時に、月並みなコメントになってしまうが、作品を観た私たちがこれはおかしいと声を上げていくことが、少しでも良い方向に向かっていくことを信じている。


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