【天神さま】菅原道真の類まれなる才能とそのご生涯⚡
こんにちは。厳しい暑さの中にも涼しさを感じられる季節になってきました。
そろそろ夏の暑さから解放され、穏やかな風が心地よく吹き抜けはじめます。これから来る、新しい季節への期待が高まりますね♪
今回は、当社で相殿にてお祀りしている学問の神様・菅原道真公の特集です!
◆道真公の圧倒的な才と、波乱万丈なご生涯🌊
当社の御配神であり「天神さま」とも親しまれる菅原道真公は、学者としては勿論、漢詩や和歌で多くの名歌を残され、書では「三聖」と称されるなど、類まれなる才能の持ち主でした。
藤原氏全盛の時代に右大臣まで登り詰めるなど、政治家としても傑出した実績を残した才人。
多くの人々から厚い信頼を得ていましたが、時の左大臣・藤原時平の讒言により、無実ながら京都から大宰府に事実上の流罪に近い左遷をされることとなります。
7月の「七夕」特別御朱印のモチーフにもなっているこの歌は、道真公が政敵の讒言により大宰府に無実の左遷をさせられた際、失意のうちに詠まれた歌です。
歴史的な背景が重なると、深みが増しますね。
この後、大宰府の地で非業の死を遂げることとなった道真公ですが、死後に身の潔白が証明されます。
更には「天満大自在天神」という御神号が贈られ、「天神さま」「学問の神様」として1100年以上の長きにわたって多くの人々の信仰を集めることになりました…✨
◆道真公のご生涯ヒストリー
そんな道真公は、幼少期からその圧倒的な才能の頭角を現しはじめました。5歳の幼少の時には既にこんな歌を詠んでいます。
大人の女性がさす紅が梅の花の色みたい と子供らしく素直に詠んだ歌ですね。
幼少期の道真公の可愛らしさに、得も言われぬ“エモさ”さえ感じます…💛
ここから年を重ねられ、11歳になると「月夜に梅花を見る」という風景ソムリエのような漢詩を詠まれます。
5歳の素直な和歌もかわいらしかったですが、そこからの進化がすごい…! 学問の神と称される道真公の、幼少期からの恐るべき才能を感じますね👻
◆その才能ゆえ悩まれた道真公
成人後は学者の家系ながら異例の出世を遂げ、右大臣にまで取り立てられる道真公ですが、その才能や地位からくる周囲からの強烈な妬みや嫉妬に悩まされ続けたご生涯でもありました。
とうとう延喜元年(901年)、道真公は無実の濡れ衣を着せられ、遠い九州・大宰府の地に極めて配流に近い左遷になってしまいます。その時に詠まれた歌がこちら。
東風吹かば~の歌は、道真公が御屋敷に残してきた庭の梅の木への想いが込められています。庭の梅の木にも愛を持って接していた道真公のお人柄が垣間見えますね。
配流の前は右大臣であった道真公。大宰府では衣食もままならぬ厳しい生活を強いられながらも、皇室のご安泰と国家の平安、またご自身の潔白を只菅に天にお祈りされたという記録が残されています。
◆道真公、涙の最期の漢詩…💧
そして左遷から2年の月日が経った延喜3(903)年の正月に、道真公は大宰府に降った春の雪の情景に、こんな漢詩を詠みました。
こちらは春の雪を梅の花と見立てて吉兆を寿ぎ、中国の故事に重ねて自らの帰郷を願った、ご逝去のひと月前に詠まれた歌で、道真公が残した最期の歌となりました。
最後まで都へ戻りたいという強い想いを持ちながらも、浄明正直の変わらぬ信念と、敬神の祈りをつらぬいた道真公。
そして延喜3年2月25日、道真公はその清らかなご生涯を閉じられました。
没後は朝廷でも道真公の無実が証明され、「天満大自在天神」という神様の御位を贈られました。
溢れる才能ゆえに悲劇の道を歩んだ道真公でしたが、卓越したその才能と、ご生涯を通じて誠を尽くされた清らかな生き方は多くの人々の琴線に触れ、1100年以上経った現代まで「学問の神様」「至誠の神様」と広く信仰されています。
◆道真公と「牛」🐃
そんな道真公と深いご縁がある動物が「牛」。
このような臥せた牛の像を見たことはありませんか?
こうした「臥牛」像は全国の天神さまで見ることができます。
道真公がご逝去された後のこと。道真公の御亡骸を牛に曳かせて進んでいたところ、牛が路傍に伏して動かなくなりました。
人々は、これは道真公の御心によるものであろうと、その場所に御墓所を造りました。これが、現在の太宰府天満宮です。
また、雷をつかさどり「天神さま」としても親しまれる道真公。
雷は雨の前兆であり、雨は農耕に最も大切なもの。
この「牛」とご縁の深い神様をお祀りするため、人々は農耕にはなくてはならない大切な労働力である「牛」を奉じるようになりました。
このような道真公と牛にまつわるたくさんの不思議なご縁から、現在のように神使として全国の天満宮に臥牛が祀られるようになったのです🐂
◆道真公の想いを込めた「鳥点の筆法」
優れた書家であり、書の「三聖」と称えられる道真公。
その真骨頂ともいえるのが「鳥点の筆法」です。
鳥点🕊️…なにそれ? という方は、次の画像をよーーーく見てみてください…!
漢字をよく見ると……あれ!? 鳥がたくさん隠れています!🕊️🕊️🕊️🕊️🕊️🕊️(何羽いるでしょうか…?)
こちらには「都に鳥のように飛んで帰りたい」という道真公の心情が描かれているといわれています。
そして前述の「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」という歌。
春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。
…という歌ですが、この言葉に呼応して道真公を慕って、“都から一晩のうちに大宰府に飛んできた”という伝説を持つのが、太宰府天満宮の御神木である「飛梅」です。
その看板は、今も同じ技法で書かれているんです・・・!
パッと見で可愛い遊び心が感じられるこの技法ですが、意匠に忍ばせたストーリーを知ると切なく見えてきますね。
ご自分の気持ちを情緒豊かに表現する道真公の類まれなる感性と、圧倒的な書の技術が表れています。
◆神社で探す日本の「繋がり」
菅原道真公をお祀りする神社は、全国に1万2千社あるといわれています。各社様々な縁起がありますが、それぞれの神社でその信仰やエピソード、御遺跡に触れることができるはず。
梅の御神紋が目印の「天神さま」(〇〇天神や〇〇天満宮)に御参詣の際は、ぜひ細部まで着目してみてくださいね🌸
また、全国約8万社の神社にはそれぞれに神様がいらっしゃって、それぞれに御由緒や神社の歴史があります。
神様と地域や歴史は、必ず何らかの形で繋がっています。
こういった歴史上にいらっしゃった神様を深く知ることや、〇〇八幡や〇〇稲荷などの多くのお社がある神様の縁起や逸話を知ること、そして神社を通してその地域の歴史を知ることは、広く日本の文化や伝統の美風に触れる ということでもあります。
どうぞ、神社にお参りの際は、五感をふるわせてお参りをいただきつつ、少し立ち止まって、そういった「繋がり」を探してみてはいかがでしょうか♪
写真提供:太宰府天満宮
道真公の秋のご名歌についてはこちらもご覧ください♪
◆小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)
東京の下町 入谷にある学問・芸能・仕事の神様をお祀りする神社です。
御祭神は、平安時代有数のマルチアーティストである 小野篁卿。文鳥を愛する絵画の神様で、百人一首にも登場したり朝は朝廷に夜は冥界に出勤される多動な神様です。852年⛩創建 、境内には重要文化財の富士塚も🗻
東京メトロ 日比谷線 入谷駅 4番出口 より徒歩3分
JR山手線 鶯谷駅 南口 より徒歩7分
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