
フリーランス2年目、生活に芯を通すためにコンビニでアルバイトをはじめた
自由とは、想像していたよりも遥かに重いものだった。
その重さに耐えることができなったぼくは、破綻寸前の生活を整えるために、週3日コンビニでのアルバイトを始めた。フリーランス2年目のことだ。
* * *
「自由な生き方」や「時間や場所にとらわれない働き方」がホットワードとなった今日、フリーランスやリモートという形態で働くことに憧れる人は多いそう。ぼくは社会人経験がないままフリーの道に迷い込んでしまったので、どれだけの社会人がソレに憧れるのかはわからない。
ただ、こんなぼくにでさえ独立についての相談が来るくらいなので、やはり世間の独立熱は徐々に高まっているのかもしれない。
旅をしながら仕事をしたいって?引きこもりのぼくに聞かれてもなあ……。え、新卒で就職せずにフリーランスになりたいって?中卒のぼくに言われてもなあ、やってみればいいんじゃないですかね……。
はて、場所にとらわれない働き方って、そんなに良いものだろうか?時間にとれわれない働き方って、そんなに魅力的なのだろうか?
「自由」って、本当にそんなに素敵なものなのか?
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ぼくは、自由の重さに耐えられなかった。
場所も時間もすべて自らの裁量で決めなければならない働き方は、思っていたよりも強いメンタルを要する。これは後になってわかったことだ。膨大なリソースを使いこなすことができず、日に日にすり減ってゆくのを実感していた。
そうして、ジワジワと生活は狂ってゆく。
気がつけば、日没とともに目が覚めて、朝日とともに床に就く生活になっていた。太陽から逃げるような暮らしの中で、心身はひどく疲弊していった。
当たり前だ。
毎日同じ時間に起きて、同じ服を来て、同じ時間に家を出て、同じ道を通って、同じ場所に向かい、同じ時間に帰路につく。学生時代、あんなに嫌だった数々のルーティンが恋しかった。意志薄弱なぼくでも自由に生活できていたのは、不自由さがあってのことだったことを悟った。
きっと、不自由なくして自由はないのだ。
* * *
そんな生活を続けてゆくうちに、このままだと若くして死ぬのではないか、そんな恐怖に襲われることも増えた。そんな恐怖をどうにかかき消そうと、ドクターショッピングをはじめる。
負の循環。キャパシティオーバーな自由は人を狂わせるのだ。
自由を乗りこなすだけの器量が、ぼくには決定的に欠けていた。好きなときに好きなことができるなんて聞こえは良いが、徹底した自己管理なき「自由」の先に待っているのは破滅だ。
無気力、過集中、無気力、無気力、過集中……。
アンバランスな生活の中で、あるときプツンと糸が切れたように動けなくなった。秋口のことである。
* * *
そんな生活を抜け出すために、アルバイトを始めた。
今日はその初日だ。
強制力なくして生活を正すことができないのは、これまでの失敗の数々から学んでいた。とにかく外に出る口実が、人並みの生活を送らなければならない動機が必要なのだ。
時給900円。きっとお金を稼ぐためだったら耐えられなかったかもしれなきが、今のぼくにはどうでもよかった。生活に芯を通すためのバイトだ。
これからぼく自身がどう変化してゆくのか、楽しみでありほんの少しだけ心配でもある。経過は、またここに綴ろうと思う。とにかく悲観的にだけはならぬように気をつけよう。
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