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岡本太郎の「芸術は爆発だ」ってどんな意味?

「芸術は爆発だ!」でおなじみの岡本太郎さん。
1970年の万国博覧会のために制作された『太陽の塔』は有名ですね。万博が終わってからも、多くの撤去反対の声により永久保存が決定している芸術作品です。今も大阪府吹田市の万博記念公園にあり、内覧もできるようです。

岡本太郎:1911年神奈川県川崎市生まれの芸術家。若くしてパリに渡り10年間を過ごす。1970年の大阪万博ではテーマ館のプロデューサーを務め、太陽の塔を制作した。バラエティ番組にも出演し「芸術は爆発だ」のフレーズは流行語にもなった。


自分の中に毒を持て

「芸術は爆発だ」ってどんな意味なのでしょう?

自分の中の感性が爆発して作品が生まれる、とかそんなイメージがありますが……わかるようでわかりません。

岡本太郎の真意とは?
気になりますね!

岡本太郎の著書『自分の中に毒を持て』ではこう語っています。

ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。

"芸術は爆発だ"

ぼくの気ままに言った言葉。それが妙に一般の人気を得て、ついには新語・流行語大賞までもらってしまった。今ではバクハツが勝手にひとり歩きしているようだ。その賑やかな使われ方には、いささかびっくりしている。
私の言う「爆発」は音もしない。物も飛び散らない。全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。

自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。
今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱ありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そうふっきれたとき、ぼくは意外にも自由になり、自分自身に手ごたえを覚えた。
「自分の中に毒を持て」より


ベラボーなものをつくる

1970年の万国博覧会。
アジアでは初めて日本で開催されるという重要な国家事業で、メインパビリオンとなるテーマ館のプロデューサーに就任。万博のテーマは「人類の進歩と調和」と決まっていましたが、岡本太郎はこのテーマに疑問を呈しました。

「僕は進歩と調和という万博のテーマを信じない。調和は妥協に過ぎないし進歩主義という観念自体も信じない」

「進歩ではなく地に足をつけ世界を見ること。調和ではなく様々な民族の違いを知ること。それこそが出発点なんだ」

「技術の進歩が社会を豊かにし、人を幸せにする」
そんな万博のメッセージに反して「ベラボーなものをつくる」と宣言し、進歩と調和へのアンチテーゼとして太陽塔をつくりあげました。


牛乳瓶の化け物『太陽の塔』

大屋根をぶち抜いてそびえ立つ太陽の塔は、当時の大衆には好意的に受け入れられた反面、知識人には「妙なコケシ人形」「なんだあの牛乳瓶の化け物は」「こんなものを万博のシンボルにするのは日本の恥辱だ」と批判されたそうです。

太陽の塔はたしかに日本的でもなければ西洋的でもなく、今まで見たことのない建造物です。

見たことのないものをつくり、人々の常識を打ち壊そうとした。それが岡本太郎のメッセージではないでしょうか。


「芸術は爆発」の真意

人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬのもよし、生きるのもよし。ただし、その瞬間にベストを尽くすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。

「芸術は爆発」の真意とは

強烈に生きること。その生き方こそが芸術だ。
爆発とは、その瞬間にベストを尽くすことだ。

『自分の中に毒を持て』ではこう締めくくられています。

無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。
平然と人類がこの世から去るとしたら、それがぼくには栄光だと思える。


「牛乳瓶の化け物」と揶揄された太陽の塔は、岡本太郎の"爆発"する想いとともに永久に残り続けていくのです。


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