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ふっと、また見失う

またもやプチ低調。今年はこんな風に好調と不調の波が激しい気がする。2020年7月、今年は色々なことがあってうまく乗り切っているような、全く手も足も出ないような、そのどちらも感じつつここまで過ごして来た。みんなそうなんだろうと思う。そりゃそうだよね。新型コロナウィルス再び感染拡大中。

毎月10本以上、大きな会場から小さなお店まで、お客様の前で歌ってギターを弾いてと云う生活をしてきた。もちろんレコーディングや文章を書く仕事もあったけれど、生活の中心はライブ演奏だった。7月26日には久しぶりに小さな規模でライブ(小野瀬雅生と須藤祐)をやるつもりだけれども、現時点(7月20日)では本当にお客様をお迎え出来るのか最終判断が出来ておりません(基本的には有観客でやりますよ、余程のことがない限り)。ライブ再開している人もいる。無観客にする人もいる。ライブ会場の場所にもよる。会場の規模にもよる。どうするんだろう自分。これがここ数日ちょっとしたプレッシャーになっている。気分を変えて何か今起きていることとは全然関係ない文章でも書こうかとおもったけれど、気分転換が出来ない。気が付くとやっぱりライブのことを考えている。ここ一両日で判断しないといけないけれど(直前でもギャーだったらヒーとしますのでご安心を)、気が気ではないような気もする、と気の字が多くなるのもご容赦ください。

クレイジーケンバンドのツアーもまだスケジュールが見えてこない。全国あちこちに神出鬼没の生活もままならない。30年前までは海外どころか本州から出たこともなかった僕が、段々と行動範囲を広げて、21世紀に入ってからは年間のうち何ヶ月かは旅に出ているなんて夢にも思わなかった。今は旅することが身体に沁み込んでいる。GoToなんてキャンペーンもあるんだから行けばイイじゃんなんてそんなの行かないでしょそう云うのじゃないんだよ。今はじっとガマンの子か。前みたいにふらふらあちこち行けるようになるの、3年くらいかかるのかな。いざ行けると云う時にちゃんと歩けるように普段から歩いておきます。

Twitterも良く見ていますが、玉石混淆、雑踏の中にいてふと目の前を通り過ぎた人のその瞬間の話し声だけ聞こえて来て、前後の繋がりのないその一言を判ったように頷いたり、知らん顔をしていたりします。でもふと僕の目の中から心の奥底を覗かれたように呟かれた一言に出逢うことがあります。その瞬間は身体が竦むような恐ろしさに見舞われて、暫くはその一言に支配されたりもします。正直怖いです。怖いなら見なければイイじゃんなんてそれも全然違うんだよ。ウマく説明出来ないけれど、傍観者ではいたくないんです。じゃあ当事者かと云えばそれも正解ではないのだけれど、そこにいて世界を感じていないと味が薄いんだよなぁ。実際は薄味好きな僕だけど、しっかりした下支えのある味なら塩味は薄くても良いの薄味好き。食べるモノでも世界の在り方でもちゃんとした下支えが少ない中、自分にとっての程好い味を探し続けていないといけない。変わりたいし、変わりたくないし、変わらないでいるためには変わらないといけないし、そんなの誰にも判ってもらえないだろうけれど、色々インプットして、考えて、見失って、足掻いたりしてしまっています。

でも何だか急にスッキリしました。こうやって自分の中身を文章にするのって本当に大事だと思いました。また誰の役にも立たないしみったれてみみっちくて些細なことにこだわって(それがたまに役に立つこともあるようなので励みになります)がんばって歩きます。もう見失ったままでも、何を見失ったか忘れちゃっても、また何か見つけたり思い出したりしますので大丈夫です。ご心配をおかけしました。後は横浜DeNAベイスターズがもうちょっと勝ってくれたら申し分ありません。がんばるべし。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫