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お父ちゃんと自動車のこと

僕は自動車の運転免許を持っていない。同じく自動二輪の免許もない。免許証と云うのはこれまでの生涯で持ったことは一度もない。あれだけ車だバイクだと売り文句にしているクレイジーケンバンドにいるのに、僕が運転出来ないと話すと大変に意外だと驚かれる。まあ今の時代、運転が出来ないと云うだけでも珍しいのだろうけれども。

僕のお父ちゃんはずっと車に乗っていた。僕が生まれた頃に家にあった車は日産ブルーバードのバン。それからプリンスのバンになって、マツダのグランドファミリアのバンになった。家庭の事情でそれ以降は自家用車がずっとない時代が続いたが、弟が運転免許を取って中古のクラウンだかセドリックだか(ごめん、ちゃんと思い出せない)が家の駐車スペースに鎮座するようになった。

僕が子供の頃は、お父ちゃんと母ちゃんは一緒に自宅併設の作業場で子供服を作る仕事をしていて、出来上がった製品を新宿の百貨店の納品所に車で運ぶことが週に何度かあった。僕が幼稚園や小学校を終えて帰ってくる頃に、お父ちゃんが納品に出かけるタイミングとちょうど合うと、そのまま車に乗って納品所との往復にくっついて行った。

当時出来たてホヤホヤの第三京浜道路(昭和40年暮れに全線開通)を通って、環八から駒沢通りを抜けて渋谷に出て、明治通りで新宿三丁目に到着。僕は運転は出来ないけれど、こうやって道だけは良く覚えた。一度通った道は大体記憶していた。現在のようにカーナビのない時代、友達が暇だった僕を連れ出して、ナビゲーターにしてドライブに行くことがよくあった。今でも横浜市内の道は大体判る。良く知っている道なら車線変更の指示も出せる。楽曲やウルトラマンの怪獣や野球選手だけでなく、道も記憶する僕なのであった。

そんな僕も何度か運転免許を取ろうと教習所に通ったことがある。でも卒業することはなかった。まず、人に何かを教わると云うことが非常に苦手だ。当時の教習所の教官と云うのは尊大な態度を取っている人が多く(そうでなかった人もいるにはいたけれど)、僕の中でそう云う人に対する反抗心が即座に沸騰して破裂してしまうのだった。僕が生涯で完全にキレて激怒した経験は10回くらいしかないが、そのうちの2度は自動車教習所だった。教官の態度や言動に徹底的に抗議して、校長まで呼ばせて謝罪させた。人間はいざとなると何をしでかすか判らないと、自分の身を以て知った。後にお父ちゃんにそのことを話したら「お前らしいな」と苦笑いしていた。

運転免許を取るのを諦めたのはお父ちゃんの言葉があったからだ。「お前はもう酒を飲むだろう。酒を飲むか、運転するか、どちらかにしろ」と云うのが一つ。僕が小さかった頃のお父ちゃんはちょっとお酒を飲んでいたかもしれないが、運転するのが仕事の一つになってからは、お父ちゃんは家でお酒を飲まなかった。僕に晩酌の習慣がないのも、お父ちゃんがしなかったからだ。

もう一つが決定的だった。「お前はラジオで音楽を聴いていると、集中してしまって他のことに全く気が回らなくなるだろう。それは本当に危ない。お前は運転しない方が良い」と的確な指摘。確かに当時の僕は、何かに集中して没頭してしまうと、声をかけられても全く判らなかったり、時間経過も全く気にしなくなってしまう。その集中力でギターの練習をして、音楽の勉強をしていたのだけれど。今はかなり緩んで、集中しようにも出来ないことの方が多くなってしまったが(やーねぇ)当時の僕にはその父親の言葉がぐさりと刺さった。それ以外の懸念も数々あって(急にふわっと眠くなる性質もある)自動車免許取得は諦めた。お父ちゃんに云われなくても取れなかったかとは思うけれど、アドバイスありがとう。この件に関しては生前に一度伝えたことがある。やっぱりお父ちゃんは苦笑いをしていた。

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それでも自動車自体は好きだった。僕が小学校6年生の頃に、漫画「サーキットの狼」の影響もあって世の中にスーパーカーブームが巻き起こった。僕もご多分に漏れずスーパーカー好きとなった。当時は横浜の三ツ沢辺りに外国車のディーラーが軒を連ねていたので、よくお父ちゃんに連れて行ってもらった。モーターショーにも行ったことがある。ハマりました。どっぷりと。

だから今でも1970年代の車は大体判る。特に外車はかなりマニアックなところまで認識している。2015年にリリースしたクレイジーケンバンドのアルバム「もうすっかりあれなんだよね」のジャケットにシボレーノヴァとAMCグレムリンの写真が使われたが、そのグレムリンの方をイイですねと剣さんに話したら「のっさんが何でグレムリン知ってるの」と驚かれたこともあります。

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スーパーカーブームの頃、気に入った車の写真をお父ちゃんに見せるとさらさらっとその車の絵を描いてくれた。それが嬉しくて何枚も何枚も描いてもらって、挙げ句に自分でも勝手に車をデザインして描いてみたりした。もし運命がそちらに傾いていたなら、僕は自動車のデザイナーになっていたかも知れない。ないか、そんなの。

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そんなわけで、リトラクタブルライトとか、ガルウイングとか、DOHCとか、ターボとか、そう云う言葉は自分の中ではかなり普遍的なものであったりする。そうした用語の解説もお父ちゃんが詳しくしてくれた。僕のデザインの好みとしてはやはりちょっと風変わりであるのがポイント。007シリーズのボンドカーは大体好きなので、その辺りを想像して戴ければと思う。

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ああカッコイイ。たまりませんわ。車はスペイシーなフォルムであるべきです。そしてリトラクタブルライトでないなら、丸目4灯でありたい。角目4灯も良いけど。

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作詞家のサトウハチロー先生が60歳を過ぎてから自動車の運転免許を取るために合宿教習所に入った話が大好きだ。マルイだったかの自動車免許合宿カウンターにいた可愛い女の子に「僕でも取れるかな」と話しかけたら「取れます」と満面の笑みで返されたので申し込んだそうな。僕ももうすぐ60歳になるから免許でも取るか。

でも友人たちにはかねてから云われていることがあって、「まずあり得ないとは思うが、のっさんが免許を取って公道に出るようなことにもしもなるとしたら、すぐに連絡をくれ。絶対に二度と家から出ない」とのことである。さもありなん。お父ちゃんにも怒られそうだ。そう云えばお父ちゃんの好きな車は何だったんだろう。昔はスカイラインに乗りたいって云ってなかったかな。

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これこれ。このGTR。カッコイイな。今頃天国でこれに乗ってるかも知れない。この画像をずっと見ていたら、何となくだけれど、この車は僕のお父ちゃんにとても似ている。顔がね。似てるな。こんなお父ちゃんでした。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫