見出し画像

今日のエウレカ#9「若いね」は嬉しいか?

若いね、と褒められることに最近喜びを感じなくなって来た。

昔は「若いね」と褒められると、この人は私に「フレッシュな魅力を感じてくれているのだな」と思い、嬉しかったが、

今は、「若いね」と言われると、

「年相応の貫禄や社会的な責任のある人間」のようには見られていないのではないか、という懸念がよぎる。

お世辞で言ってくれているのかもしれないが、それはそれで「若いと言っておけば、喜びそうな女だ」と思われているようで、腹が立つ。

「若いのにすごいね」などと言われるよりも、

「年齢にふさわしい貫禄と、社会的な責任を負った大人の女だね」と言われたい。

そう思うのは、単に私がその領域に関して現在コンプレックスを感じていることの裏返しなのだが、

どちらにしても、若さを単にほめられるよりは、年齢にともなった人生の蓄積を先に褒められたい、まだこれだけしか生きていない、ではなく、すでにこれだけの人生を生きてきた人だ、ということを認めた上で話してほしい、という気持ちのほうが先行する。

それに、そう褒めた人が、若さをやたら懐かしがっているようなそぶりを見せたりすると、

若くないと人生を楽しめないと言われているようで、そっちのほうが心の裏地にちくちくとささる。

初対面とか、すくなくとも年齢を問うような浅い関係性においては、自分のことよりも、相手の人生観のほうが、大事だ。

最近、ある男の人と知り合って、恋愛風のムードが漂ったのだが、

「若いね」「ほんとに30歳?」「見えないね」と相手がひたすら連呼するので

気持ちがしゅるしゅると萎えてしまった。

男性は女性を褒める時に(また、女性が男性を褒める時にも)とりあえず容姿と年齢のギャップを褒める、という定石のようなものがあるが、

若さに価値を置いていない人間を相手に、その人の若さを褒める事は、逆に自殺行為だ、と思う。

日本にはアイドル好きに代表されるような、若さを称揚する文化があり、それに対して社会的に「大丈夫かな」とは思う(「幼さや未熟をアピールする事で、相手の手をゆるめさせ、ある種の牽制を相手に与える」という日本的な戦術は国際社会では通用しなくなりそうな気もするし、一歩間違えると危ういのでは」という懸念を感じる)が、それを無理に変えて欲しいとか怒ったりするつもりはない。「女性蔑視では」と怒るつもりもない。(だって、日本の女性だって若くて幼い男子が好きだ。高倉健ファンの若い女性より、韓国アイドルが好きなおばさまが多いのを見ても明らかだ)

ただ、私は若さで勝負をしたくない、という気持ちが今は強い。

銀座の高級クラブで働いていた時に、いろいろ教えてくれたお姉さんたちは、みなでっぷり太って貫禄があった。

なんていうか、「美人」とか「かわいい」からはほど遠いのだが、ばんと張った腹の上に、たっぷりとした乳とふくよかな頬が並び、きりっとしててきぱきと業務をこなしているのを見ると、なんていうか、どっしり地面に根を張った太い木の幹の内側から漂ってくるつややかさがあって、私はつい、お客さんよりもお姉さんたちのほうを眺めてしまっていた。

山崎ナオコーラさんの小説に

「女としての魅力ではなく、社会人としての魅力をアップしたい」というような趣旨の言葉があるが、

わたしも

「年齢を重ねた人としての魅力をアップしたい」

と切実に思っている。

そのためには、とりあえず「初めての相手にこちらから電話をかけられるようになる」とか、クリアしなきゃいけないことが、たくさんあるのだけど……。

ありがとうございます。