今日のエウレカ#11 頭ん中は私の遊び場
最近、これをやると原稿がむちゃくちゃスラスラ書ける、というポーズを発見した。
五郎丸ポーズのようなものだ。テレビであのポーズを見て、私もああいうポーズが欲しいなあと思い、いろいろ試行錯誤の上に編み出した。
それ以来、原稿(小説でも、コラムでも、取材記事でもなんでも)を書く時には必ずやるようにしている。
やり方はこうだ。
まず、静かで落ち着いていて、原稿を書くのに適した環境に行く。私の場合は、近所の上島珈琲店のお気に入りの席だ。
次に、小さなガラスのコップを用意する。喫茶店で、水を頼むと出てくる、ああいうやつ。
それを両手で握り、目の前に持ってくる。じっと掲げていても、腕が疲れない位置にね。
それからじっと中の水の動きを見つめる。水に映った照明の光がキラキラしてとっても綺麗だなあとか、暖房の風を受けて、水の表面がふるふると震えて面白いなあ、なんてことを、ぼんやり思いながら、じーっと見る。余計なことは考えない。
そうしていると、だんだん、日常生活の悩みとか、頭の中をかけめぐっていた些末な考え事が、遠くに後退してゆき、脳だけが暗い宇宙に取り残されたような感覚が、身体を包みこむ。
そうなってきたら、今度は頭の中にもう一人の自分を用意して、その自分に話しかけられるのを想像する。だいたい、会話の内容(スクリプト)は決まっていて、文字にしてみると、こんな感じ。
「このコップの中に、あなたの持つすべての想像力が入っていますね?」
「はい」
「それはどんな色、形をしていますか?」
「◯※△×□……(この部分は毎日違う。体調や気分でも変わるし、一日のうちのどの時間帯かによっても変わる。たいていは、白いふわふわしたマシュマロみたいだったり、朝日を浴びて七色に輝く砂浜のさらさらとした砂のようだったりする。ロサンゼルスのショーガールが全身に纏う、ピンクのキラキラしたラメパウダーのようだったりもするし、ざらざらとこぼれ落ちる水彩色のコンペイ糖みたいだったりする)」
答えながら、それが、透明なコップの中に、ぎゅうぎゅうに詰まっているのを想像する。
「想像できましたか?」
「はい」
「では、あなたの想像力を閉じ込めている、このコップ、これは何で出来ていますか?」
「◯※△×□……(これも、毎回違う。疲れだったり、イライラだったり、あるいは書けない、という思い込みだったり)」
「では、このコップを取り外すと、あなたの想像力はどうなりますか?」
「世界中に溢れて……無限にふくらみます。それはとても、あたたかくて、ふわふわとしていて、人々のあたまの上に降り注ぎます」
「そうですね。その溢れ出た想像力で、今日は何をしますか?」
「今日は◯※△×□(これは、今日やる原稿の内容。コラムだったり、取材記事だったり、小説だったり)をします」
「わかりました。では、私が三つ数えると、このコップが外れます。あなたの想像力はここから溢れて、無限大に広がりますね?」
「はい」
「いいですか?」
「はい」
「では、数えます……3.2.1」
そこで、私はコップを下に置く。
そして、原稿を書き始める。
これをやると、どんなに疲れていても、眠くても、悩んでいても、一気に私は目の前の原稿の世界に没頭できるし、恥ずかしさだったりとか、自信のなさだったりとか、そういった制限を何一つ自分にかけることなく、自由に原稿が書けるようになる。
重要なのは細部で、問いかけは必ず「〜ね?」で終わらなければいけないし、手に持つのはガラスのコップでなければならない。マグカップや、鉢植えではいけない(鉢植えは試したことないけど)し、最初のコップを見つめる作業を怠ると、靴を片方履き忘れたような気になって、スクリプトが上手く働かない。
また、照れがあってはいけない。どんな場所でもためらわずにやる必要がある。
このようにいろいろな制限があるが、効果は絶大だ。
このスクリプトはたぶん、私が試行錯誤の末に生み出したものなので、万人には当てはまらないと思う。
また、べつに、いきなりものすごく上手い原稿が書けるようになるとか、そういうことでもない。原稿はたくさん書かないと上手くならない。つまるところ、ただの願掛けである。
人によっては、なあんだ、そんな馬鹿げたこと、と思うかもしれない。
ただ、私の場合はこれをやると、どんなに生活の中で悲しいことがあっても、イライラしていても、悩んでいても、すべてを忘れて、頭の中の、一人の世界に入ってゆける。私はそこで、やわらかくて温かで、お母さんのお腹の中みたいに安全な、ピンクのほかほかした想像力に包まれた、ちいさな子どもになる。この世界に入ることが、私の最近の幸福の、95%くらいを成り立たせているといっても過言ではない。
誰にとっても頭の中は、その人だけの無限の遊び場であり、そこでは人は圧倒的に自由なのである。
ありがとうございます。