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今日のエウレカ#12 誰かは誰かの見えざる手


先日、私にとっては大黒歴史である、中3の時に作ったミステリー小説のファンジンについて書きましたが、実はこの冊子を作ったのには一つのきっかけがありました。

その3年前の小学校6年生の時、私は友達と連れだち、東京の国立(くにたち)にある桐朋高校という私立の男子校の文化祭に行きました。

「ませてる!」と思われたかもしれませんが、決してナンパ目的ではなく、通っていた小学校がその高校の付属校だったので、文化祭に行くのは普通のことだったのです。

そこで、私は偶然一冊の小冊子を手にしました。

桐朋高校には文芸部があり、自分たちの短編をまとめた部誌を文化祭で発行していたんです。

たいていはラノベ風の、決してクオリティが高いとは言えない作品ばかりだったのですが、その中に一人だけ、抜群に上手い人がいました。

たしか、夜の真っ暗な山間を走る、一両しかない電車にたった2人で乗り合わせた男と女がぽつりぽつりと会話してゆくうち、実は女は獣の化身だということが分かった……ところでふいに車内照明がぱっと消え、まっ暗闇の中、最後には正体を表した女に食われるという、宮沢賢治と川端康成を足して二で割ったような雰囲気の幻想怪奇譚でした。

暗闇の中、ごうごうと音を立てて猛スピードで駆ける電車、ふいに線路脇のガス灯の黄色い光が車内をさっと走り、女の尻からだらりと垂れ下がった毛むくじゃらの尻尾が、ばっと照らし出される…。

そういう描写が、もんのすごく上手かったんです。

タイトルも書いた人の名前も、もはや覚えていません。

けど、その時に「すげー上手いなぁ!高校生になったら、こんな風に自分の好きなものを書いて、発表できるようになるんだ!」とワクワクした記憶だけは、今でも鮮烈に残っています。

その憧れが、私に三年後あれを作らせ、大作家先生にアンケートを送りつけると言う無謀な行為に駆り立てた。

それで今この仕事をしていることを考えると、なんか、不思議だなあ、と心から思います。


誰かは誰かの「見えざる手」なんだなあ。


たぶんあれを書いた人は、自分の作品が誰かに影響を与えたなんて、思ってもみないでしょうし、私が冊子を作ったことを忘れていたように、その作品を書いたことなんてすっかり忘れているかもしれない。もしかしたら、その人の中では完全なる「黒歴史」になっているかもしれません(高校生としてはすごく上手かったけど、今思い出すと、プロとしてはまだまだ……というレベルでしたから)。

でも、私の中では今につながる布石になっている。

世の中に残されたものは、どんな些細な物であれ(こういうWeb上の記事も含め)、誰かを未来に手招きし、ひっぱりあげ、次のステップへと繋ぎ渡す役割りを担う可能性を担っている。君の居場所/やるべきことはここにあるよ、というシグナルを、誰かに向けて発している。

それは作品づくりに限ったことではなく、ちょっとした仕事の中での配慮だったり、他人にむけた仕草だったり、気遣いだったり、そう言ったことも含めて。


そういう仕事がこれから出来ると良いなあと思います。

たぶん、意識してやったら、できないことなんでしょうけど、ね。


追伸:その狐の怪奇譚を書いた人は、その後プロになったんだろうか。なっていてもおかしくないレベルだった。もし、この記事がきっかけで、あれを書いたって人が見つかったら、面白いのになぁ。


ありがとうございます。