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最近のSNSに見る尖った投稿

SNSが普及し、様々なトレンドが高速で移りゆく令和の日本。
先週話したことがいつの間にか忘れられ、新たな話題の波が私の頭をかすめていく。
その話題に紛れて、様々な事件やトラブルを目にすることも多くなっただろう。
多くの物事があふれるSNSの世界では、誰でも自由に投稿することができ、その内容によっては一瞬で人気者になることも可能になっている。
誰でも多少の承認欲求は持ち合わせているだろうが、一度その手を画面から離して立ち止まってみてほしい。

議論と誹謗中傷の区別

誰かの投稿に対して、自分の意見や感想を伝えたり、引用したうえで自分なりの考えを投稿すること自体問題ではない。
「バズる」という言葉があるように、発言や発信が瞬く間に拡散され、人気者になることがある昨今のSNS。
それを狙って強引な意見を述べたり、通常の思考では説明のつかない逆張り意見を投稿する人間が一定数存在する。
問題なのは、相手の意見に対して何ら論理的でもなく、論点もずれた批判や悪口を並べる人たちだ。
一つの意見に対して議論を深め、理解の幅を広げようとすることは私自身好きなことであり、そこから生まれる新たな発見は人間の進歩だと感じられる。
しかし、最近は議論と誹謗中傷の区別がついていない人があまりにも多いのではないかと思うのだ。
SNSは自分の意見を自由に投稿できる「システム(機能)」を持ち合わせてはいるが、だからといって他者を傷つけるようなことでも何でも投稿して良いわけではない。
相手の意見を尊重しつつ、自分がどう思うのか、その伝え方を一度考えてほしいと切に願う。

事実にない主観的な非難

あくまで起こった事実に対してのみ議論を深めるべきである。
よく目にするのは、どこに書いていたのかもわからない不確定は情報に主観を組み込んで非難している場合だ。
「〇〇は高卒のニートのようだ」とか、「ストーカー気質の最低人間だ」など、事実確認もしていないのにその人の印象をなんとなくのイメージで投稿するようなことを目にしたことがあるだろう。
その人がどんな生活をしているのか、どんな容姿なのかわからないにも関わらず、自分の中で勝手に育てたイメージを公のSNSの場で発信することは、嘘を流布している可能性もあるし、話に尾ひれをつけて余計な混乱を招くこともあるだろう。
議題自体がおかしい場合も当然あるのは理解しているが、正当な議題に対して勝手に場外乱闘をしかけるような投稿で得をするのは、乱闘を仕掛けた側が(たとえ悪目立ちでも)注目を浴びることだけではないだろうか。

尖ることとトゲトゲしいことは別物

自由に発言した結果認知度が増えることは良いことであるが、その意見が誰かを傷つけていないか考えてほしい。
尖った個性から生まれる独創的なアイデアは世の中を良いものにしたり、多くの人を楽しませてくれるものになりえる。
しかし、尖った個性と人を単に傷つけるトゲトゲした性格は全く違うことに気がついてほしい。
個性を出しているつもりが、注目を集めるだけの誹謗中傷を羅列しているだけになっている人はいないだろうか。
世界の誰も傷つけずにSNSを行うことはとても難しいことだろう。

私自身もこのnoteが誰も傷つけないともいい切れないのである。
自分の正しさが誰にでも当てはまるわけではない。
とは言え、一度投稿ボタンを押す前に立ち止まり一考する所作は、無用な誹謗中傷を減らすことはできると私は信じている。
尖っていても柔らかい心を持って日々を過ごしていきたいものである。


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