おいしい遊び 補足

■『知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境』2013 村田純一 他
『予測誤差は、「現在の予期構造は、現実と符合していない可能性がある」というシグナルでもある。そして、予期構造を可塑的に更新させるための動因として、必要不可欠なものだ。そう考えると、自分の予期構造を裏切るような予測誤差の経験を、どのような意味連関の一部に配置するかということが、可塑性誘導の成否を決める可能性があるだろう。予測誤差を、痛みとか、焦りとか、ネガテイブな意味を付与する意味関連の中に配置するのか、それとも、それに対してある種の遊びの契機、あるいは、快楽を伴う創造性の契機としての意味を付与するのかによって、可塑的変化の方向性は変わると思うのだ。』
『この、自由度の開放→再凍結というプロセスは、完成品としての行為パターンや道具のデザインをうみおとすだけでなく、その過程で同時に、冗長性や頑強性という副産物をもうみおとす。』
『予測誤差を減らすために、あらかじめ固定化させた予期による支配を貫徹させようとする状況から、予期の共同生成・共有によって予測誤差を減らしつつ予期構造を更新させる状況へ移行すること。ものとの関わりにおいても、他者との関わりにおいても、「依存-支え」の冗長な関係を増やしていくためには、それが重要だといえる。そして、そのことを可能にするのは、予測誤差、言い換えれば他者性を楽しめるような、「遊び」の文脈なのだろう。』(熊谷晋一郎)
脳性まひを抱え車いす生活を送る著者が、自らの体験や歴史的な背景も踏まえながら自立とは何かをまさに生態学的転回と呼べるダイナミックさで描き出している。そこでは自立を『依存先を増やし、一つ一つの依存先への依存度の深さを軽減することで「依存-支え」関係の冗長性と頑強性を高めていくプロセス』とし、それを邪魔するものとして「痛み」をあげながら、痛みの文脈を遊びの文脈へと変えていくことの必要性を説いている。
それは痛みとしても現れうる予測誤差を快楽を伴う創造性の契機へと変換し、環境を可能性の海として捉えることであり、どんな環境の中にも関わりあいながら生きていくことを求める強さでもある。

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