ツイアビさんの言葉はツイアビさんのもの
ただ、ここで書かれているツイアビの言葉には、文明人の匂いも感じる。
文明人が何かを語りたいがためにツイアビに語らせているように感じる。
なんとなくフェァじゃない気もするが、それはいいや。
いいやよくない。
ツイアビの言葉はツイアビのものだ。
自分の言葉は自分の言葉だけど、ツイアビの言葉までも自分の言葉のもののように扱う、というのではジャイアンである。
(ついでに書くと、ジャイアンの「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」という言葉は、2011年のアニメでハートフルなセリフに書き換えられたみたいだけど、それもまったくよろしくない。ジャイアンを舐めるなと言いたい。)
ツイアビさんの言葉はあくまでツイアビさんのものであってあなたのものではない。大抵のものはシェアしていいし、境界もはっきりさせる必要はないと思うけれども、そこにはちゃんと線を引かねばならぬ。その言葉からどんな自分の言葉をみつけられるか、そこをおろそかにすれば、考えることの自由は守れはしない。
当時の自分は、「フェアじゃない気もする」と感じたそこにこそ自由が育つ可能性があったはずなのに、その芽を踏み潰して、ツイアビさんの言葉を借りた著者の言葉をそのまま借りて終わりにする。まったく不自由なもんだと思う。(実際、当時は自分の言葉に出来ない不自由さを感じてた気がする。)
ただ、実際は、ツイアビさんも著者のフィクションであって、この本自体は著者の言葉でできた良い本だと思うし、よく売れたよう。
ちょっと思ったんだけど、よく売れた本ほどそこから自分の言葉を見つけ出すのは難しくなるんじゃなかろうか。だとすれば、この時の敗北も致し方ない気がする。
出版当時は多くの人がツイアビを実在の人物だと信じてたようなので、
「文明人の匂いも感じる」
この一文で合格としよう。
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