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読書記録再読

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昔書いた読書記録のブログを肴に、なるべくどうでもよいようでどうでもよくなさそうなことを、どうでもいい感じで書いていこうと思います。
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2018年12月の記事一覧

その恐怖体験はちょっとここでは書けない

分かる。分かる。実際の経験の方がずっと健康的な感じがする。
だけども、それだけじゃないものもあると僕も自分を励ましてみる。

このころからこういう座学に対する後ろめたさのようなものを持ってたんだな。

いや、後ろめたさというより恐怖。トラウマ。

その恐怖体験はちょっとここでは書けないけれども、後ろめたさと恐怖を抱えながらよくやってる方だと思うな。自分。

このトラウマに対しては、これを乗り越える

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仕事のセンスとプチプチ職人

やはり、「考えること」は必要だ。
もっと、明るくそれを言えたらなぁ・・・。

「考えること」というより、高橋 哲哉の「やり過ごさないこと」「思考停止をやめること」という言葉のほうが適切だな。考えることが必要、だなんてかなりおしつけがましい。

センスって生まれ持った才能というよりは、自分の中のセンサーの鳴らす音をきちんと拾う態度のことだと思うけど、そういう態度を維持すること自体センスがいる。

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脱おじいちゃん

今、頭と身体、感覚をすべてこんなにうまく使える人は珍しい。
仕事が「頭でする仕事」と「身体でする仕事」に分けられてしまったため、一人の人間の中から引きはがされてしまったように思う。

こういうところだけみると、今の若い世代の(一部の人が持つ)自由さや可能性のようなものを感じる。
若いなー。
若者よりずっと若い気がする。

実年齢ではなく精神的に若い人たちは今、身体に近いところで動いてるように思う。

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寡黙さの中に饒舌が存在し、饒舌さの中に寡黙が存在する

最近僕は、時間を呼び込むために空間的に単純であることが必要条件ではない、と感じ始めている。
一見、饒舌にみえても、その空間に身をさらせば、自然や宇宙の時間を感じるような空間もありうるのではと思うのだ。

自然を寡黙ととるか饒舌ととるか。空間の寡黙さの中に饒舌が存在し、饒舌さの中に寡黙が存在するのだ。

先日、家族で大分まで行き、とあるイベントに参加してきたのだけど、饒舌的寡黙を貫いている時に、また

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時々ちょっと

そこで、図書館へ行って利用者の視点から書かれたものを探して借りたうちの一冊がこの本。

知らない分野の提案をする機会があった時、なるべくその分野のいろいろな視点の本(計画者の視点、専門家の視点、利用者の視点)を読むようにしている。その多くは実現にいたらないのだけど、そういうものに触れることができるのがこの仕事の良いところかもしれない。

だんだんと見送る機会が増えてきたし、自分もいつ見送られる立場

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ノータイトル

うむむ。内容を思い出せない。そのためのブログなのに引用もなし。

この時はじめて福島のm.mさんからコメントを頂き、以後やり取りをするようになる。

ブログで知り合いが増えたほんの数人の中のお一方なので思い出深い。けれど元の内容は思い出せない。思い出つながりなのに深いとせないでだいぶ違う。

今回は以上。

動詞としての生きる

おそらく、最も重要なことは「中心」や「固有性」「私」または「システム」といったものに問いが回収されないということだろう。

解けない問いを生きる。

この時はまだぼんやりしていたけれども、動詞としての生きるという言葉に多くのことが凝縮されている。問いを解くわけでも手放すわけでもなく、問いを生きる。

今日、オープンハウスカゴシマのシンポジウムで倉方さんの生きた建築ミュージアムなどについての話を聞い

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みんなが同じおもちゃを買ってもらえるわけじゃない

ただ、それによって色々なものの見方が出来れば、それだけ生きている時間を楽しめるかもしれないというだけのことだろう。

「何のために勉強するのか。」

子どもの頃はそんなものだと思っていたので、何のために、なんて考えたこともなかった。
だけど、年を重ねるにつれてこの問いの意味が少し大きくなってきた気がする。

子どもが言いそうな「なんで勉強しなくちゃいけないんだ。」というような意味ではなく、逆に「こ

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空き地に土管をさりげなく置いておくのは配慮

それが、つまり、「いたれりつくせり」からできるかぎり遠ざかった質、ということの意味である。

いたれりつくせりの代表格ってなんだろう。テレビのリモコンとかのやたらボタンが並ぶ家電とか?

いたれりつくせりにも、選択肢をズラーッと並べてさぁどうぞ、というものと、知らず知らずのうちにいつも欲しいものへたどり着いてる、というものの2種類あるように思う。

ちょっと意地悪に、前者をおせっかい、後者を配慮と

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テキストもループする

思考実験。

高校の頃はは、確率論的輪廻転生論、だとか、脳内ポジショニングの技法だとか、いろいろ妄想を膨らませていたけど最近はからっきし。(最近は、懐古と悲観がデフォ)

少し前、当時8才の次男とお風呂に入っている時に「お父さん、身長無限メートルの人間がいるとするじゃん。その人の頭とか体とか足ってどこからどこまでなのかなー」と。

すばらしい想像力だなー。

お父さんの確率論的輪廻転生論によると、

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無理の違和感がなかなか捕まえられない

スカルパが言うように綿密に計画されたシーン展開には厳かな感覚の中に楽しさを引き出す仕掛けが盛り込まれている。

その綿密に計画された建物は、今写真を見ると少し重たく、無理をしているように見える。

カルロ・スカルパ考 古谷誠章より

スカルパの優れている点は全部バラバラなのにそれが統合されてひとつの調和をもたらしているということです。これこそが私たちがつくらなくてはならない都市や街の景観のひとつの

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