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商業カメラマンの喜怒哀楽15

 こんにちは。カメラマンの小野順平です。独立して9年経ちました。45才になります。一旦は諦めかけたカメラマンでしたが、なんとかギリギリのラインで生き残ることができています。毎年わからないのですが、本当にありがたいことにお仕事を頂いております。昨年の売り上げは今年は越えられないですが、もう少し踏ん張って行きたいです。

 徐々に仕事の量も減って来てはいますが、自分の中での働き方を少しづつ改め直して、写真がもっと上手くなれたらいいなといつも思っています。

2011年に独立してというか、所属していた会社の仕事もしていました。結局そこの仕事もギャラが払えないということになり、ギャラをいただけないのなら仕事は厳しいと思いますとメールしたところ、「今までありがとうございました」と社長からの返信がありそこから一切音信不通になりました。ただ、今思えば、がむしゃらになって仕事を探すことがなかったのかなって。本当に仕事を探していたり自分でやろうと思っていたら遮二無二やると思います。覚悟が足りなかった。

 なかなか営業を受け付けてくれない会社があるのは当たり前で、なんどもなんども行ったり作品を作ったりとやることは沢山あったはずです。それをせずにただひたすらネットで仕事を探しながら、回りくどいことをしていました。

 ようやく決まったのがメディア出版という会社の外注カメラマンでした。今まで商業カメラマンとしてやって来てはいましたが、学校写真は初めてでした。学校と言っても幼稚園だったり幼稚園だったり、幼稚園ばっかりでした。クリップオンをつけて撮影することがあまりなかったのでどうしても抵抗感がありました。ただ、学んだ事も多々あります。いい写真より多く写っている写真。先生に嫌われないカメラマン。

 色々考える事も多かったですが、仕事がないのならそこで踏ん張るしかなったのです。いつか脱却したいとは思っていましたが、そこでもやはり常にやっている人たちは上手でしたし、きっちりしていたと記憶しています。彼らは社員なので外注と違って終わったら終わりではなく、終わったらそこからのスタートでもあった様です。

 2011年はギャラが安くても学校写真の仕事をいただけていましたし、徐々に商業系の仕事もポツポツでしたがありました。ただ、それと同時にイベントのスタッフをやったりポスター貼りをやったりもしていました。仕事のないときはそれを受けてやっていましたが、先に決まった方を優先してしまうと撮影の仕事を断ってしまうという本末転倒なことにもなっていました。

 そんな時「自分の本来の仕事をしたほうがいいよ」と言ってくれたクライアントさんに感謝しています。Y社のWさんと言う方でした。Wさんは仕事の悩みなどを聞いて頂いていたので、じゃ、うちの仕事やりなよっと、仕事を回していただき、Wさんが退社の後もお陰様で続いております。

 2012年に入ると夏あたりから学校写真の撮影も他の案件が増えだした事もあって引き受けられなくなり疎遠になってしまいました。仕事がなくてもまだ心の余裕が少しはあったのかも知れません。 

#私の仕事

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商業写真カメラマンをしています。 スタジオ兼事務所が錦糸町にあります。 45才にもなっていますが、浮き沈みが激しくなかなか浮上できません(沈んでいるんじゃん) カメラマンになって18年(アシスタントが4年) 写真に携わって22年 そこそこのベテランになってしまいました。