淀川長治インタビュー わたしのチャップリン 聞き手:大野裕之

淀川長治インタヴュー

以下のインタビューは、1997年12月13日に東京の全日空ホテルでおこなわれたものである。

淀川 京都からはるばるよくいらっしゃいましたね。チャップリンに関しては、いろんな本に出てるので、よっぽど個性的な特別な質問をしなきゃだめだよ。

・わかりました。それでは今日は、まず前半は、先生がチャップリンと最初にお会いになった時のことと、人のみならずチャップリンの映画に出会われたときの事をお聞きしたいと思っております。それからそのあと、出来れば「個性的」で「特別」な質問をさせていただきます。

淀川 じゃあ僕がチャップリンに会ったことですね。1936年、昭和11年の3月に、ポーレット・ゴダ−ドと香港で結婚して、内緒で内緒で誰にも言わないで、そして神戸へよって帰ったのね。そのときちょうど僕は、ユナイテッド・アーティスツの大阪宣伝部で働いていました。そこに、チャップリンがゴダードと結婚したが、アメリカでそれを発表したらえらい騒ぎになるから、内緒で内緒で、香港に逃げていって結婚して、そして、そろっと帰るんだ、「この船は神戸にちょっとだけ寄るから、どうぞよろしく」って言う電報が来たんですね。だから、いっさい人に会わないし、いっさい発表もしないと。僕はユナイトにおったおかげで、その電報は盗み見てしまいましたね。びっくりしたのね。その頃もちろん映画は全部見てましたけど、チャップリン自身に会うなんてことは考えてなかった。けれどチャップリンは神戸に来ると。自分は大阪におると。大阪におって神戸に来るチャップリンに会わないでいられますか思ったのね。死んでも会いたかったのね。そして、その事をジャッキリンっていう支配人に言ったら、「もう絶対ノウ」って言われたのね。足踏んで「ノウノウノウ」って言ったの。でも僕は「どないノウって言われても行きたい」って言ったのね。すると彼は「君がチャップリンと神戸で会ったら、僕も首だし、ユナイトのこの社員全部首だ」って言うの。「それでも構わないから会いたい」って言ったのね(笑い)。一日中「会いたい。会いたい。会いたい」て言うたのね。そしたら、とうとうジャッキリンが帰る前の晩の6時に、僕にウィンクして「オーケー」って言ったのね。内緒だよって。

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