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空を見つけた日


小学校一年生だった私の、夏休み前日の出来事。

その日は午前中で放課となり、友達と一緒にはしゃぎながら夏休みへ続く帰り道を急いだ。
途中で友達と別れ一人になった私は、お気に入りの近道を通って帰ることにした。
農道や田んぼのあぜ道が生活に欠かせない山間の田舎町で、私の家の裏側にも広々とした田畑が広がっていた。学校指定の通学路よりもあぜ道を通った方が早かったし、田んぼの枠に沿って歩くと探検している気分になれるので、私はそのあぜ道を通るのが好きだった。

ランドセルをカタカタ鳴らしながら慣れたあぜ道を進んでいたのだが、何故かその時、私はふと立ち止まった。
よく晴れた、気持ちのいい夏の日。
草の匂い、水路を流れていく水の音、眩しい日差し、全てが爽やかな夏の気配に満ちて、キラキラと輝いていた。明日から、小学生になって初めての夏休みが始まるのだ。私は夏を胸いっぱいに吸い込んだ。
幸福感に包まれた私の頬を、夏の風がふわっと撫でていった。

その風に誘われて空を仰ぐと、綺麗な水色の空に白い雲が浮かんでいた。
当時の私は、雲は白い綿のようなもので空にプカプカ浮かんでいるのだと思っていた。入道雲という名前も知らなかった。
ふわふわ、もこもこしているそれにすっかり目を奪われて、触ってみたいなぁと考えながらしばらく見つめていた。
すると、少しずつ雲が動いているように見えて、全身に衝撃が走った。

雲が動いてる!!
ううん、気のせいかもしれない・・・
じっと見すぎて、そんな風に見えただけかも・・・
やっぱり、動いてる、ちょっとずつ形が変わってる!


雲が流れていくその瞬間を生まれて初めて目にし、興奮のあまりその場で小さく飛び跳ねた。
それは私にとって、世紀の大発見だった。
絵本みたいなふわふわの雲が、じーっと見ないとわからないくらいゆっくりゆっくり流れていて、空の模様が少しずつ変わっていく。

雲は、本当は、じっとしていないんだ。
いつもは止まって見えるけど、気づかないくらいそうっと動いていて、だから、知らないうちに天気は晴れたり曇ったりするんだ。


私はそれを見つけたのだ、と思って、あまりの嬉しさに頭がビリビリした。もう一度じっと見つめて、流れていく雲を確かめた。やっぱり間違いなく雲は動いていた。
じっとしていられなくなった私は、家に向かって駆け出した。

早く帰って、お母さんに教えてあげなきゃ!

あぜ道は私の家の裏庭に直結している。大急ぎで玄関の方へ回り、ただいまより先に母を呼んだが返事がない。ランドセルを背負ったまま居間へ駆け込むと、なにやら電話で話し込んでいる母の後姿があった。

早く話したくてうずうずしながら待っていたが、どうやらその電話は私の友達のお母さんからのものらしく
うちの子も帰ってこない、もしかしたらK君と一緒に寄り道しているのかも、などと話している。

K君というのは、大人達にあまり好かれていない近所の男の子のことだ。いばっていて乱暴なその上級生とは、私は一度も話したことがなかった。
突然出てきたK君の名前にぽかんとしていると、電話を終えた母がこちらを振り向いた。

ランドセルを背負ったままの私に母は、遅かったじゃない、どこで寄り道してたの?と目を吊り上げた。

あのね、雲を見てたんだよ、K君は一緒に帰ってないよ、それでね、雲がね、と言いかけた私を遮って母は、

嘘をついてもわかるんだからね。


と断じた。
私はあんまり驚いたので、雲の話を続けるのを忘れた。
母が急に知らない人になったような、不思議な気持ちになった。

電話をかけてきた友達のお母さんは、私が途中まで一緒に帰ってきた友達とは違う子のお母さんだったし、なぜ今まで一度も話したことのないK君と一緒にいたことに決められてしまったのか、さっぱりわからなくて、不思議だった。
全然違うことを、絶対そうだと決めてしまう大人が、とても不思議だった。

母はまだプンプン怒っていたが、それ以上は何も言わずに、遅くなったお昼ご飯を一緒に食べた。私はもう、母に雲の話をしようとは思わなかった。

こうして雲の流動の発見は、私一人のものになった。


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「感動」という言葉で思い出す、脳裏に刻まれた光景。
世界が生まれ変わったような、視界に映る全てのものがキラキラと発光して見えたあの日の記憶を、私は今でも大切に思っています。
晴れた空に雲が浮かんでいる日には、雲の流れを確認するまで眺め続けてしまいます。そうして、幼い日の発見の記憶をそっとなぞっているのです。

過去の細々したことを忘れられないというのは苦しく辛いことである場合が多いけれど、子供の頃の瑞々しい感情を覚えていられるというのは、案外得難いことなのかもしれません。
この発見は「大人の意味不明」をぶつけられたことでより印象が強くなっている節があるので、タイミングよく意味不明な大人を見せてくれた母にも、実はこっそり感謝しているのです。

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