御嶽山

京都大学で学生をしています。 無益で無体な記事を作ってます。 頽廃主義を標榜しつつも真…

御嶽山

京都大学で学生をしています。 無益で無体な記事を作ってます。 頽廃主義を標榜しつつも真面目さを捨てきれないそんな人間です。

最近の記事

台湾旅行記 ASPT編

「ポーカーアドカレ2023」への寄稿noteです。 今回の記事は自身の台湾旅行の記録の一部、ASPT(Asia Series Poker Tour)に参加した際の日記みたいなものです。 このnoteだけで完結するので、ぜひ最後まで読んでもらえると嬉しいです。 ~台湾への出発前~ 私「っていうことで、Hさんと二人で台湾行ってポーカー打ってくるわ」 K「じゃあ、ステーキングしたるわ、2万円あげるからこれでなんか出てや」 そんなこんなで、友人から2万円くすねました。Kはあま

    • 台湾旅行記 九份編

      台湾旅行もこれで4日目になり、ポーカー漬けの毎日から気分を変えるためにも、今日は千と千尋のモデルにもなった台湾の九份(ジュウフェン)に観光しに行くことにした。九份までは台北市の空軍車站からの直通のバスが出ており、2時間弱ほどで到着。 この町、元々は炭鉱で栄えていたらしく、だんだんと商店街とお茶で有名な観光地と化していったよう。友人のKが言うには「作られた観光地」ですが、まぁ風景が良ければ何でも良いでしょう。 丁度昼時でお腹がすいていたので、Hさんと一緒に食事をとることにし

      • 台湾旅行記 故宮博物館編

        旅も後半になるにつれて、同行しているHさんと自分のやりたいことが異なってきた。HさんはASPT(Asia Series of Poker Tour)で行われているトーナメントにできる限り出て優勝して、名誉と賞金が欲しい。私はもうポーカーを打つ資金が底を尽きかけているので、台湾の観光がしたい。そんなことで、夕食の時以外は段々と別行動が多くなった。 朝、起きるとHさんはもういなくなっていた。朝9時から行われるトーナメントに出場しに行ったのだろう。残された私は一人で台北市郊外にあ

        • 台湾旅行記 書店編

          台湾の書店に行ってみよう。 そう思ったのは10000台湾ドル(5万円)のポーカーのトーナメントをバブル(入賞まであと一人の順位)で飛んで焼けたその次の日のことであった。 書店、そこは外国人観光客が一番訪れないであろう場所だ。書店自体が観光地と比べたらそこまで惹かれる場所ではない。そもそも台湾の書店に置かれている本はもちろん台湾語(中国語)で書かれているから詳しい中身は知りようがない。   ただ、日本も台湾も漢字文化圏であるから、その利点としてある程度書かれている内容は理解

        台湾旅行記 ASPT編

          台湾旅行記 Ace8編

          寧夏夜市で食事を済ませた私たちは台湾のポーカールームに行くことにした。 ここでポーカーのことをあまり知らない人の為に説明をしておくと、ポーカー(ここではノーリミットテキサスホールデムのこと)には主に2種類のプレイの仕方がある。それは「トーナメント」と「キャッシュ」である。 「トーナメント」は各プレイヤーが最初に決まった同じ量のスタック(持ち点)を持っていて、それらを取り合うことでスタックがゼロになったプレイヤーから脱落していき、プレイヤー同士での順位を決める戦いである。

          台湾旅行記 Ace8編

          台湾旅行記 夜市編

          空港にいた間はHさんからずっと空港のラウンジの話をされていた。このクレジットカードを持っているとこのラウンジに入れて、飲み物がタダで、少し早く飛行機に乗れて、、、うんぬんかんぬんということらしい。飛行機を交通手段ではなく何かのアトラクションとかアミューズメントと思っている自分には、少し良いラウンジを使うためにクレジットカードを作るのはばかげていると思ったがそれを言っては元も子もないのでそのことはぐっと黙っていた。Hさんにとっては実家が関東にあるそうで、帰省によく飛行機を使うら

          台湾旅行記 夜市編

          台湾旅行記 出発編

          ある時、自身の所属しているポーカーサークルのHさんからこんな話を持ち掛けられた。 「台湾でASPTっていうポーカーの大会があるんだけど、お前も来る?この大会は木原さんが、、、」 Hさんはその後も大会のことを詳しく話していた。木原さんとは物凄く有名なプロポーカープレイヤーであり、Hさんはその木原さんに会えることを楽しみにしていたようであった。 自分はそんなことは正直どうでもよく、初めての海外旅行、初めての海外での現金を賭けたポーカーに心躍っていた。それにHさんは海外の経験が

          台湾旅行記 出発編

          Let's さんぽ神

          みなさん、「さんぽ」してますか? 今日はこの世で一番金のかからない趣味、散歩に一つまみの変化を与える商品の実践記事です。    「ドロッセルマイヤーさんのさんぽ神」 この小さな冊子には「どこで」「何をする」といった神のお告げ(指令)がたくさん書かれています。つまり、「どこで」「何をする」の組み合わせ次第で散歩の行く先が決まっていくという仕組みなんですね。面白いね。 冊子の適当な場所を開いてその指示に従いつつ散歩をするってわけ。例えば、こんな感じの指令がでます。 なん

          Let's さんぽ神

          B面な日常3 〜流行病にご用心〜

          行きつけの店が「インフル」にかかって潰れた。 美味しい、安い、多いの三拍子揃った評判の店だったのにも関わらずだ。いや評判が故だったのかもしれない。 だが、それも仕方がない。そんな客のたくさんいる店の方が流行病には罹りやすいものなのだ。 当然のことながら来店者の誰かが流行らせている訳である。顔色さえ伺えれれば、そいつがインフルかどうかなんて一発で分かって入店拒否できるのに、それは叶わないらしい。 どうやらインフルを持ってきて広める奴は必ずと言ってよいほどマスクをつけて来

          B面な日常3 〜流行病にご用心〜

          B面な日常 〜偏りのある並び列〜

          ある日、駅で新幹線のチケットを緑の窓口で買おうとすると、こんな看板が立っていた。 「3列になって順番にお待ちください。左の列から1:2:3の割合でお呼びいたします。」 そして、目の前にはチケットを求める列が3列できていた。左は短め、中は普通、右は長めな列になっていた。それも当然である。左に行けば行くほど呼ばれにくいのだから皆、右に並びたがる。しかしながら、右に並びすぎると、逆に左の方が早いなんてこともありうる。結局の所、上手いことバランスが自然に取れ、何処の列に並んでも呼

          B面な日常 〜偏りのある並び列〜

          B面な日常

          越南線にて 優先席の前にある吊り革には長い棒が通されそこには洗濯物が干されている。席と並行に一本、席と垂直に2本通され、コの字型の物干し場が形成されている。そしてコの開いている部分の座席には1人の老婆が座っていた。 いくら優先される存在といってもそれはやり過ぎだろうと感じたが、他の乗客は誰も注意する気配がない。仕方がないので、意を振り絞り声をかけてみることにした。 「あの、失礼かもしれませんが、何をされているんですか?こんな所に物干し竿をかけて、皆さんの迷惑になっています

          B面な日常

          日記

          「こんな気色悪い世の中に誰がしたんだ」と街に叫んでも、うんともすんとも答えは返ってこない。諦めて、「一体、誰の為なんだよ」と呟くと、後ろから肩越しにに「お前の為だよ」と囁かれる。その声を払うように振り向いても誰の姿も見えない。さっきまで寝そべっていたベットがそこにはあった。私は隣で毛布にくるまってもう一度眠りについた。起きると、ベットの真上の天井に窓が張り付いていた。空も二階の住人も透過していない。二重になっているからかと納得して、内側の窓をスライドさせる。すると、窓は天井に

          令和東京大学備忘録1

          東京の目黒区には、隠された地下施設があり、そこには東京大学駒場キャンパスに通う東大生が夜な夜な集められているらしいという噂を耳にした。 この手の怪しい話は野次馬根性というか記者魂というか好奇心というかその類の力が働いて首を突っ込みたくなるものである。私は東大に入れるほどの頭の良さを持ち合わせてはいないが、東大生が兼ね備えているであろうファッションセンスと若さを丁度持っていた。そこで東大生のフリをして某地下施設とやらに潜入してみることにした。 ジーパンにチェックのポロシャツ

          令和東京大学備忘録1

          日常を文章にして読み歩く

          私は外をふらついている時に何気なく自己を小説中の人物に見立て、その状況を脳内で文章に起こし続けていることがある。単にやることがないからやっている暇つぶしでもあるけれども、これが意外に面白い。 文章として意図的に切り抜く情景や感情を選ぶわけであるから、独り言の延長線上でも、街の実況中継の脳内再構成.verでもない。そして、自分もその脳内においては街を歩く1人の人間に過ぎないから、視点が固定化されているわけでもない。まぁ、自分と同じく街を歩く人はすぐさま脇を通り過ぎて行ってしま

          日常を文章にして読み歩く

          人は下振れるとカオスに対峙する

          人は下振れるとカオスに対峙する。それは深淵でありこちらを覗いている。 しっかりと踏み締めてきたこの道を振り返る。すると、1時間前の私が今の私を見下している。いや見下しているように見えるだけである。今の私が彼を見上げているから逆説的にそう感じるのだ。今、目の前にカオスに塞がれて道が見えていないように、彼にもこの道とそこに佇む私は見えていない。 それはいつも人の前にじっと腰を据えて座っている。人が高みに登っていく時も低みに降りていくときにも変わらない。動きはしない。アリジゴク

          人は下振れるとカオスに対峙する

          人権のなくなった世界

          「どんな人間にも人権はある。」 このよくあるあたりの良い決まり文句を聞いたのはいつ以来であろうか。 それは人権という概念がこの世の中からなくなってしまったからではない。むしろ逆である。この世の中に人権と呼ばれるものがありふれて、あふれ出して収まりが効かなくなったからである。それは肌の色、救いを求める神格対象、生活を営む土地、食い扶持をつないでいく手段などの様々な違いによる摩擦熱をエネルギーとして権利のるつぼから吹きこぼれた。 風呂釜に肩までつかりる権利らは、徐々に上がっ

          人権のなくなった世界