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ブラッド・エルドレッドという男

割引あり

1980年、アメリカ合衆国フロリダ州に
生まれた本名ブラッドリー・ロス・エルドレッドは
幼い頃からずば抜けて体が大きく
プロのアスリートになりたいという夢を抱いて
野球のほか、バスケットボールや
アメリカンフットボールに汗を流していました。

フロリダ国際大学を卒業した2002年、
MLBドラフト6巡目で
ピッツバーグ・パイレーツから指名を受けると
2005年7月22日のコロラド・ロッキーズ戦に
4番ファーストで先発出場して
メジャーデビューを飾った大砲は
55試合で12本のアーチを描きましたが
2006年は怪我に泣き、
桑田真澄とチームメイトになった2007年も
1割台の打率に沈んだ事から
シカゴ・ホワイトソックスに移籍します。

3Aでは35本塁打、100打点と気を吐きましたが
打率は2割4分4厘と安定感を欠いた事から
その後はマイナーチームを転々としながら
一軍と二軍を行ったり来たりしていた
2012年のシーズン途中、
思いがけないオファーが届きました。

3打席連続本塁打を放つなど活躍を見せていた
ニック・スタビノアが走塁中に膝を負傷し
長期離脱を余儀なくされた事から
代わりの大砲を探していた広島東洋カープは
デトロイトタイガースの3Aで
24本塁打を放ちながらも
プリンス・フィルダーや
ミゲル・カブレラといったスーパースターと
ポジションが重なり、マイナーで
くすぶっていた31歳の若者に
白羽の矢を立てて交渉を開始すると
身長196センチ、体重126キロの助っ人は
海を渡って来たのです。

7月から一軍に合流し、65試合の出場ながら
推定飛距離150メートルの照明設備直撃弾を放つなど
チーム2位の11本塁打を記録した助っ人は
貴重な長距離砲として、翌2013年も期待されましたが
開幕早々、読売ジャイアンツの菅野投手から
デッドボールを受けて右手首を骨折、ようやく復帰した
6月に今度は大谷翔平からデッドボールを受けるなど
ケガに見舞われるシーズンとなりました。

途中加入のキラやバリントンに
ミコライオといった他の助っ人が活躍を見せる中、
外国人枠の関係で契約延長は微妙なラインでしたが
野村監督の強い要望で残留したエルドレッドは
「ケニーのアドバイスのおかげさ」と
指揮官への感謝を口にした2014年、伝説となるのです。

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