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トラウマの果ての鴨居マーライオン事件を、ストーリーに変えてくれた富士健太事件

この記事は、とあるベンチャー企業の、創業期の赤裸々なお話。


この記事は、

・起業前後の人にとっては、
 創業期の役員との出会い方の記事かもしれない。

・今悩んでいる人にとっては、
 辛い時の向き合い方の記事かもしれない。

・将来起業したい人にとっては、
 起業初期を疑似体験する記事かもしれない。


そういった意味で、
色々な見方のある記事だと言うことは先に述べておきたい。

*ありのまま書きたかったので、固有名詞が多く出てくるが、
 抽象化して自分事に落とし込みながら読んでいただけると嬉しい。




さて、いきなりだが、僕にはトラウマがある。

どんなトラウマがあるのか、そしてそのトラウマとどう向き合ったのか、
つらつらと書いていこうと思う。



トラウマの始まり

時は数年前に遡る。

あれは会社をつくって1~2年目くらいの頃。

時系列としては、以前書いたビジネスモデル記事の後くらいのことだろうか。そういった意味では、以前の記事の続きとみてもらっても良いかもしれない。  

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さて、そんな当時、僕が一番聞きたくない言葉があった。


それが

『てつさん、話したいことがあるのでちょっとお時間つくって頂いてもよいでしょうか』

という言葉だ。

ズバリ、僕のトラウマはこの言葉だ。


なぜなら、この言葉の後に97.5%ほどの確率で
『てつさんにはすごく感謝しているんですけど。。。。
〇〇の事情で辞めたいです』

という言葉が続くからである。


人がいなくなるのが大いに苦手な僕自身にとって、
その言葉はあまりにも攻撃力が高すぎた。

当時のうちの会社では、その言葉が常に僕1人に集約される
という性質もあったので、それが拍車をかけたのかもしれない。


そんな言葉を食らいすぎたせいか、僕はある時
『お時間つくって頂いてもよいでしょうか』という言葉が
トラウマになってしまった。

そのため他のなんでもない相談の時に
『お時間つくって頂いてもよいでしょうか』と言われることにも
いつしか怖さを感じるようになってしまった。

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鴨居マーライオン事件

さてさて、その当時の僕自身の追い詰められ具合を象徴するものとして、
鴨居マーライオン事件というものがあるので簡単に説明していこう。

*タイトルドリブンなネーミングだな。。 

*時間ない方は、この章飛ばして頂いても大丈夫です。


僕の実家は、鴨居という駅にある。

新横浜駅の、隣の隣の駅だ。

当時は起業直後でお金もなさすぎたので、
固定費を抑えるために、時にオフィスに泊まり、時に実家に泊まる、
二刀流生活をしていた。

そして実家に帰る時は、
駅から家まで徒歩約6分ほどの道を歩いて帰っていた。



ある日、いつもの帰り道を歩いていたところ、
いきなり道の途中で吐いてしまった。

まあ疲れているのかなと思って、一呼吸置く。


回復したので、少し歩く。


するとまた吐いてしまう。
何か食べ物でも当たってしまったのかな?


回復し、少し歩く。
するとまた吐く。


。。。。。


あれ、ヤバくね。。。
胃酸が流れている。


こうして約6分間の道の中で、僕は3回ほど吐いた。
(本当はもうちょっと多く吐いていた気もするのですが、
話を盛りたくないので、控えめに言います。。。)


大丈夫、大丈夫と、自己暗示をかけながら、残りの道を歩いて帰った。


そう、鴨居マーライオン事件というのは、その吐き様がまるで、
シンガポールのマーライオンのようだということと、嘔吐という表現を
もう少し柔らかく言えないかということで、名付けられた出来事である←

*大したことない事件ですみません。。。


もちろん、全てのストレスが、人の問題に集約されて
こうなったのかと言われたら、それだけではないとは思う。

ただ、その日だけでなく、トラウマ言葉が来た日の後は、
嘔吐を繰り返したのもまた事実だ。

人から見れば、『え、そんなことで、そんなに?』と思うかもしれないが、当時の自分にとっては、それが少ししんどかったんだろうなあ。。。

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富士健太事件<前半>

前置きが長くなった。ここからが本題だ。


さて、こんな話をすると良く聞かれるのが
『そんな状態からどうやって回復していったのか。』ということだ。

結論から言おう。

リアルなことをいうと、
色々なことが重なっていった偶然のたまものでしかない。


ここで『あの出来事がきっかけで!転機となって!』みたいな
ドラマチックな話を書けたら良いのかもしれないし、
それっぽく書こうと思えば書けるかもしれないが、
脚色しすぎたくないので、これが正直な答えだと思う。


ただ、それだけだとあまりにも味気なさすぎるので、
その中でも個人的に印象に残っている出来事を共有したいと思う。


それが富士健太事件だ。


『またまた変な名前ばかりつけやがって!』
という方のために補足していく。

まず前提として、健太とは、弊社取締役の川角健太のことである。


僕と健太は、元々あるイベントの運営者側と参加者側
という関係性で知り合った。

そこからしばらく経ち、本人からの応募で、
健太がオンリーストーリーにインターン生として参画してくれた。

当時の川角写真↓

そしてそこからさらに半年近く経った頃に、富士健太事件は起きた。


<ある日の僕と健太との会話>

け:『てつさん2週間ほどお休み頂きたいです』

て:『了解。いつも頑張っているし良いよ。ただ、お客さんのフォローだけ
   ちゃんとするようにね。ちなみに2週間も何するの?』

け:『富士山まで行きたいんです。』

て:『え、富士山まで行くのに2週間もかかる?』


我ながら、至ってニュートラルな質問だろう。
するとここで驚きの答えが返ってくる。

け:『はい、富士山まで渋谷から、歩いて行くんです』


。。。。


言葉が出ない。

そんな僕に追い打ちをかけるかのように、彼は言葉を重ねる。

け:『リアカーを引いていくんですよ』


ゲシュタルト崩壊とはこのことだろうか。


整理しようと試みたが、理解したことのない角度からの情報が
あまりにも多すぎた。僕が当時ナチュラルに思った感想が、

『え、それ、どういう種目?』

ということだ。

だって、富士山まで歩いていくだけでも意味がわからないのに、
そこにリアカーを引いていくというのだから、

それはなんらかの種目であってほしいと思ったし、
少なくとも僕の脳にとっては未知の情報が多過ぎた。

証拠写真↓

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富士健太事件<後半>

さてさて、そんなこんなで健太を送り出してから2週間の月日が経った。

そして、健太が帰ってきた。

その日に健太と話す機会があった。


け:『お休み頂きありがとうございました。』

て:『おかえり。富士山どうだった?』

け:『はい、実は、僕婚約しました


て:『ぬへ。。。。。』


。。。。


整理しよう。
まず前提として、健太は、僕の質問に直接答えていない。


そして何より、寝耳に水過ぎる。
なんなら、バケツくらいの量の水を耳にかけられた感覚だ。


だって、皆さんは経験があるだろうか?

富士山まで、
歩いて、
リアカーを引いていき、

その情報だけでも頭がいっぱいなのに、

帰ってきたら婚約していた
というハッシュタグを最後につけてくるわけだ。

少なくとも、それまでの僕の平々凡々な人生では、一度もなかった。



少し話はそれるが、ボクサーが一番効くパンチは、
予想していない、見えない角度からのパンチらしい。

僕はボクシングをしたことはないが、
少なくとも僕にとって見えない角度からすぎる情報だったので、
その時、見えないパンチで倒れるボクサーの気持ちが少しわかったような気がする。



さて、そんなやりとりのあとで、川角が僕に言った言葉ある。
それが、

『てつさん、話したいことがあるので、ちょっとお時間つくって頂いてもよいでしょうか』

という言葉だ。


『きたな』と思った。同時に、
トラウマがよみがえってきたように、身体が少しすくむ。

僕は平然そうな顔をしながら、『わかった』と言った。


そこから僕は健太と一緒に、今後について話し合った。
一度だけでなく、何度も話し合いを重ねた。


ここからの話は、話すと長くなるので割愛するが、
僕にとって大切なことは、最後の最後、健太が僕に

『てつさんと一緒に取締役として頑張りたいです』

という言葉を残してくれたことだ。


その言葉は僕にとって、あまりに貴重すぎて。


その時、『お時間つくって頂いてもよいでしょうか』トラウマが、
少し薄らいだような気がした。

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トラウマをストーリーに

それから数年の月日が流れた。

僕と健太は月に一度、銭湯か飲みに行っている。


そして年に一度、役員合宿に行っている。

奥多摩に泊まり行ったり、神奈川の奥地の村に泊まり行ったり、
ある時は新島という島に泊まり行ったり。


先日、岡山県の竪穴式住居に役員合宿に行ったときに、
健太が手紙を用意してきた。

6000文字の手紙だ。

内容は伏せるが、それをふるえる声で呼んでいた。

改めて、健太の偉大さと、大切さを感じる出来事だった。


今、僕たちの会社は仲間が段々と増えている。


もちろん、減点法で粗探ししようと思えば課題だらけだし、
現状に満足するつもりなど全くないが、
1つ1つ、確実に良い会社になってきている感覚がある。

この会社には、健太がいたから入った人がいるし、
その人にさらに憧れて入った人もたくさんいる。

そういった意味では、『組織』という形態のDNAをつくったのは、
他でもない健太の存在だと言えるだろう。



だから、たまに平野さんすごいですねとか、
色々な声をもらうことがあるが、違う。
本当にすごいのは、健太だ。


ただ、健太には1つだけ大きな欠点がある。

そう、彼はすごくすごーく、アピール下手なのだ。笑

だから、そんな健太の一面を知ってもらえたらなという想いも込めて、
今回この記事を書いてみた。



まあこうしてここまで健太のことを褒めてきたが、
健太と同じかそれ以上にすごいのは、奥さんの亞希さんだろう。

だって、婚約早々に、旦那がよーわからん、ベンチャーofベンチャーに
取締役として入るとなったら、普通大いに反対するだろう。

嫁ブロックどころか、健太の意見を尊重するといって、支え続けて。
本当にすごいなと思うし、いつも感謝しています。


ちなみに、そんな亞希さんが、今ではうちの会社で社員食堂を開いているのだから、縁とはなんとも不思議なものだ。


結局僕が、トラウマを乗り越えられたかというと、お恥ずかしながら、
トラウマを乗り越えたというほどに、僕は強くなくて。

ただ、この出来事から、
それまでトラウマだったことがストーリーに昇華され、
人に話せるようになった感覚はあるのかなと思っています。

そういった意味では『過去は変えられますか?』という問いがあると思うが

過去の事実→変えられない  過去の解釈→変えられる

という感じなのかもしれない。

少なくとも、僕にとって今回のトラウマだった事実は変わっていないが、
自分の中でのトラウマに対しての解釈は大いに変わってきている。

*もちろん僕のトラウマなんて、もっと大きいトラウマがある人からしたら大したトラウマじゃないので、トラウマは全部ストーリーにしちゃえばいいんだと、乱暴な啓蒙をしたいわけではありません。


以上、
『てつさん、ちょっとお時間つくって頂いてもよいでしょうか』
の言葉がトラウマになって追い詰められた僕を、
『てつさん、ちょっとお時間つくって頂いてもよいでしょうか』
の言葉が救ってくれたというお話でした。

記事を通して少しでも誰かにプラスな影響が与えられたら
すごーく嬉しいです。



*最後に、少しだけ宣伝みたいになってしまいますが、そんな僕と健太が、
世界観ドリブンな新規事業を8月22日にリリースしたので、
よかったらぜひ見てみて下さい^^

FUSION(融合)✖️JOIN(参画)=FUJOIN(フュージョイン)

https://onlystory.co.jp/wp/fujoin/



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