あ の後ろにいろはにほへとが並んでいる

 俺は神様の世界で生きているのではなく自然の世界で生きているのだ思えて朝から霧雨の続く様子を部屋の中から眺めながらエロい女通らないかなと思っていた。
 エロい女はどんな格好をしてどんな様子で霧雨の中を歩いているのか想像してみたのだけれどもどれも半裸か全裸でリアリティーがないからけっきょく濡れて肌が透けて蒸れてるとエロいということで折り合いをつけた。
そしてマスクを着用していることで顔の半分が見えないことに人々が慣れてくると、マスクがパンツの意味合いを持ちはじめるのではないかと考えた。
 食事をする時なんてえらいえろいことになるからマックが薄暗くなったりして大口を開けるのが恥ずかしいことの意味になるからビックマックがチキンナゲットサイズになってたりして面白いなんて言ってられるのは今だけだとすると特別な時代だなと思った。
 自分は特別だから死なないと子供の頃に漠然とした霧がかかっていたから崖を走って下ったり登ったりチャリンコで爆走できたのかもしれないけれどもいったい、いつから死ぬかもしれないと思いだしたのだろう。
 歳を数えるにつれて霧が晴れてゆき見えるもを理解していくとそんなことを思うのかもしれない。
 俺の強さを他人にアピールするために「久々に死ぬかと思ったぜ」が口癖だった時があったけれどそのあたりしか思い出せないしその頃が特に活発だったかもしれない思春期は少し先が晴れきらない視界であって意味を付けるものが限られていることが無敵感を伴うのかと考えてみた。
 深夜ラジオで大躁の人は、自分は死なないと思い込んでいるから崖から落ちても死なないという話しを真剣に聞いていたことを懐かしむ。
 知識をつけることによって自分の安全地帯を固めていく。人それぞれ安全地帯の形状が違うのは環境によるものとイメージをした。中心には家があり広がっていく。安全地帯の外は霧がかかっている。チャレンジするといのは安全地帯を広げるという意味もあるかもしらない。
失敗しても戻ればそこは自分の場所であり安全が確保されている。
 安全地帯に霧がかかった。それは地球で生きている限りしょうがないことだ。
霧を晴らそうとしている。情報を集め理解しようとする。しだいに霧は日常となって晴れる。酸素があるのと同じように変えられないものがクリアになる。元には戻らない。ここが安全地帯なのだ。
 低い雲がみるみる姿を変える下は霧雨と南風とが吹いている。傘を開いても濡らそうだったから持たずに歩いた。白い街灯にきんきん照らされた杉の枝葉が波を打っている。
そこを女が横切ってゆく。背は高くない。髪の毛を後ろで結んでいて、ブラウンのスカートに白いブラウスを着て小さなバックを斜めにかけている。街灯の明かりでブラウスは光ってみえた。駅前のドンキホーテ前まで来ると女はベンチに座った。思いきって「あの」と話かけた。女のマスクが濡れて透けていて思わずじっとりとみいると、女は透き通る声で「わたし量産型ですけどいいですか?」と言った。

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