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2022.1.1 1年の計は元旦にあり

年末年始、実家に帰ってからはほとんどこたつにへばりついている。久々に顔を合わせた妹と、テレビがつまらない、最近の曲がわからないなどと文句を垂れながら無駄に明るい画面を眺めているうちに年を越していた。

2021年を振り返ろうと思っていたのに、もう新しい年だ。去年は特に何もない1年だったように思う。仕事では新しい部署に異動して、慣れない業務に苦戦した。人に迷惑をかけ続け、苦手な先輩はさらに刺々しい空気を纏うようになり、秋までは苦しい時間が続いた。しかし、今、こうして休暇をもらい、生きているのだから、もうええわ。やね。プライベートでは一人暮らしを始めたことが一番大きな出来事だった。経験がない訳ではないから、「こんな感じだったよな」と思い出しながら、それなりに暮らせている。孤独と付き合うことが上手くなり、以前より脳内の自分と会話する時間が増えた。

今年の目標の一つは、その自分との会話で生まれた思考や、誰かと話したり仕事したりして感じたことをどこかにアウトプットすること。自分は自分の感じていることを面白いと思っているが、それを言葉にすることがどれほど難しいことか、このnoteの下書きの数が物語っている。忍耐が足りないので、こねくり回すうちに飽きてしまうか、書けない自分に向き合うのがしんどくて画面を閉じる。今年はもう少し、頑張ってみようと思う。

昨日、大晦日の朝にNHKで大谷選手の特集番組が放送されていて、その中で彼は「特別なことはしていない。続けることが大事。」と言っていた。誰もが分かっていることだが、実践できる人はそうそういないものだ。大谷選手に倣って、小さなことを続ける努力をしてみよう。三日坊主になりませんように。日記のタイトルに日付を入れることにした。

もう一つの目標は、新しい世界に飛び込むこと。やりたいことはたくさんあるのに、携帯電話を握りしめていたらもう日没…なんていうのはよくあることだ。経験を大事にすること、好奇心を育てることを大事にしたい。コロナが落ち着いていたら、旅行に行きたい。こたつでぬくぬく計画を立てよう。

大晦日も元日も、特別な気持ちになれるから好きだ。24時間、他の1日と重さは何も変わらないはずだが、人間は時間をつくり、区切りをつくった。流れる川に定期的に配置される岩、その一つがこの二日なのだ。

家族でのんびり家で過ごせることに感謝して、よい一年にしたい。
文章に「したい」「しよう」が多い。希望に溢れているのはよいことだ。いや、意志薄弱ということでもあるか?やるんだ!という気概に欠けるだろうか?
なんでもいい。健やかに!

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