見出し画像

「舟を編む」を超える、壮絶な辞書作り

◆なぜ『新明解』の語釈は独特なのか?

 を解明する記事です。

 前回の記事はこちら👇👇


5.歯車の狂い 用例採集への傾倒


中学生にわかるように書かれた革命的辞書『三省堂国語辞典』(以下、『三国』)の出版後、見坊先生は”あること”に傾倒します。


その”あること”とは、用例採集です。

用例採集とは、

画像1

 新聞・雑誌・広告などで実際に使われている言葉を集める作業

画像2

のことです。

画像32
見坊先生が用例採集に使っていたカード
佐々木健一『辞書になった男』
p135



見坊先生が「戦後最大の辞書編纂者」と言われる理由のひとつに、膨大に用例を採集した実績があります。

30年かけて集めた用例は、145万例です。

その用例を記録したカードは、東京にある「三省堂資料室」に現在も保管されています。



現在の『三国』編者である飯沼浩明さんは、「1年間で4000~5000語のことばを採集している」と言っています。

単純計算すると、

画像10

★10年間で5万語
★30年間で15万語

画像11

です。

見坊先生の、《30年間で145万語》という実績がとんでもない偉業だということがわかります。


見坊先生のお子さんたちによると、

◆毎日15時間くらい仕事をしていた
◆就寝・洗顔・歯磨きの時以外は仕事
◆食事中も用例採集
◆旅行中も用例採集
◆息子の婚約者が結婚の挨拶の来ても用例採集
◆元日だけ休み(新聞が来ないので)


とのことです。

とあるパーティーでも、飲食をするのではなくボトルを凝視する見坊先生の写真がありました。

画像3
佐々木健一『辞書になった男』
p135


パーティー中もラベルに書いてあることを読んで用例採集をしていたと思われます。



なぜここまで用例採集に徹するのか?
それは、見坊先生には次の信念があったからです。

現代語の辞書には、生きた見出し、生きた用例を反映させることが何より大切であると考えて始めた仕事である。

見坊豪紀『辞書をつくる』

 

見坊先生は、言葉の”今”を反映した辞書を作るために、”生きた言葉”=”実際に使われている言葉”を徹底的に調査したのでした。


145万例採集の実績は、辞書界では”伝説”として語り継がれています。

しかし、用例採集は、あるものを”犠牲”にしてしまいました。

画像26

6.用例採集の”犠牲”と「暮しの手帖事件」


用例採集によって”犠牲”となったものは、”改訂作業”です。

辞書は、時代の変化に合わせて改訂されるべきものです。
 
しかし見坊先生と山田先生が力を合わせて作った『明国』改訂版(第二版)は、15年以上たっても第三版が出版されませんでした。
 

山田先生は、見坊先生が用例採集に力を入れている頃の心境を、インタビューで語っています。

画像25

彼(見坊)に問題が起こりましてね。彼は語彙採集の手をだんだん広げてまいりました。

それが大規模になればなるほど、語釈に取り掛かる時間が無くなった。それで「明解国語辞典』の改訂版を、さらにまた改訂しなければいけない時が来ても、なかなかそれを始めることができない。

佐々木健一『辞書になった男』

山田先生は、改訂版が出せない状況に苛立ちを募らせていきます。



そんなとき、辞書界を揺るがす大事件が起こりました。
それが、

画像4

「暮しの手帖事件」

画像5

です。

画像12
『暮しの手帖』第5世紀12号(2021年6-7月号)


 

雑誌『暮らしの手帖』において、「国語の辞書をテストする」という特集記事が公開されました。


何冊かの辞書を引きくらべてみると、やたらに、似たような文章にぶつかる。

「暮らしの手帖」1971年2月号

 

そして、具体例として、洋裁用語の【まつる】が挙げられていました。

画像27


それぞれ、言葉を入れ替えたり、漢字を平仮名にしたりしただけの、そっくりな説明だったのです。


実は、当時の辞書界には”盗用”体質が蔓延していました。
その事実が暴露されたわけです。

そしてこれらの【まつる】の説明の元になったのが、『明解国語辞典』だと告発しました。

『明国』は模範であったがゆえに、まね(≒盗用)される存在になってしまったのです。


盗用が横行する辞書界は混沌としていました。
このときに憤りを感じていたのは、見坊先生ではなく山田先生でした。

画像13

 
しかし『明国』や『三国』の編集の中心的存在は、あくまで見坊先生でした。
辞書界にはびこる盗用体質を何とかしたいと思っていても、山田先生にはできることが限られていました。


そこで、山田先生は、水面下で【とある準備】を進めました。

その【とある準備】によって、温厚だった見坊先生は生涯で唯一の激怒を見せます。

運命の「一月九日」が人知れず近づいていました。

画像28


7.「1月9日」事件


1972年1月9日。
懐石料理の名店「白紙庵」で、打ち上げが行なわれようとしていました。

画像33


何の打ち上げでしょうか?
三省堂から新たに刊行される『新明解国語辞典』(以下、『新明解』)の完成のお祝いです。


出席者は、見坊先生、山田先生、金田一春彦先生などの辞書編集者だけでなく、三省堂の社長や取締役などの重役も含まれていました。


この打ち上げの席で、山田先生以外の人が、初めて完成版の『新明解』を手に取ります。

画像14

 

そして、山田先生が書いた『新明解』の序文を読み、その場にいた人は眼球が飛び出るほどの衝撃を受けます。 


新たなるものを目指して

(前略)
このたびの脱皮は、執筆陣に新たに柴田を迎えると共に、見坊に事故有り、山田が主幹を代行したことにすべて起因する。

 

簡単に説明すると、

画像6

◆見坊に事故があった
◆代わりに山田が主幹になった

画像7

ということが書いてあります。



出席者が驚くのは当然です。
見坊先生は、事故に遭っていません(というより、この祝いの席にいます)

また、今まで中心的人物だった見坊先生が<編集語採集担当>とされ、山田先生が<編集主幹>とされており、

『新明解』は、山田が作った

という主張が感じられます。


見坊先生は、この序文を黙って読んでいました。
「声を荒げているところを見たことがない」と言われ、極めて温厚と評される見坊先生は、何も言わなかったのです。


しかし、見坊先生のお子さんたちによると、自宅に帰ってきたあとは、

事故有りとは何だ!俺は事故なんかにあってないぞ。

大声で怒っていたそうです。


初めてですよ。こんなに怒る姿は。大きい声でなにか言うっていうこと自体なかったですから。

佐々木健一『辞書になった男』p193

とお子さんが言うのですから、「一月九日事件」がいかに見坊先生を怒らせてしまったのかがわかります。


画像29


8.なぜ「一月九日事件」は、起きたのか?


山田先生が「見坊に事故有り」と書き、見坊先生を激怒させた【一月九日事件】。

それが起きた理由は、様々な要因が絡み合って起きたと言えます。


画像8

【要因1】
『新明解』においても、”名義貸し”が行なわれていた。

画像9

 
『新明解』の編者には、山田先生以外にも、見坊先生、金田一春彦さん、柴田武さんの名前がありました。


しかし、実際には山田先生以外の人は辞書の編集にまったく関わっていませんでした。

編者に名前があるのに、新たに出版される辞書(新明解)の完成打ち上げに参加するなど、一般常識では考えられないことでしょう。

しかし、”名義貸し”が横行していた辞書界ならば、起きてもおかしなくないことだったのです。



画像15

【要因2】
 見坊先生が、『三国』と『明国』の改訂作業を同時に進めるのが難しかった。

画像16

 
三省堂という一つの出版社から発売された『三国』と『明国』は、どちらもよく売れていました。
三省堂としては、どちらの改訂版も出版したいです。

画像17
三省堂は、辞書出版に力を入れています。



しかし、前述のように見坊先生は用例採集に傾倒しており改訂作業が遅々として進みません。

 当時、三省堂の【辞書出版部長代理】を務めた小林保民さんは、

見坊先生は、用例採集もあるし、ちっとも進まなくて、山田先生も自分に任せれば早く作ってくださるようなお話だったので、(会社は)これに乗っちゃおうと思って・・・・・・

佐々木健一『辞書になった男』p201

と語っています。

三省堂は、早く改訂版の辞書を出版したかった。
会社としては、早く辞書を作ってくれそうな山田先生に仕事を頼んだ方が好都合だったのです。

また、実際に、見坊先生から山田先生に『明国』の改訂作業を頼みたい」という依頼があったそうです。



画像18

【要因3】
山田先生には理想があった

画像19

 
当時の辞書には、大きく2つ問題がありました。
 
1つめは、前述の”盗用体質”です。
前述の【暮しの手帖事件】で世間の人が知ってしまった不名誉な体質です。


2つめは”堂々めぐり問題”です。

たとえば、【しぼむ】【すぼむ】を引くと、それぞれ次のように書いてあります。

画像30

と書いてあるのです。

画像20

「しぼむ」の意味を知りたくて辞書を引いても、「すぼむこと」と書いてある。
次に「すぼむ」を辞書で引くと、「しぼむこと」と書いてある。

 

こういったことが起こります。
これでは、一向に「しぼむ」の意味はわかりません。

このような堂々めぐりの記述が、当時は普通だったのです。


山田先生は、この”堂々めぐり”に、強い不満がありました。

そして、

この”堂々めぐり”を解決するには、自らが考えた語釈(言葉の説明)を辞書に載せる必要がある

と考えます。

自らが考えた語釈を載せるため、これまで共同作業を進めてきた見坊先生から独立して水面下で作業を進めたのです。
 

画像33


9.独特な語釈の真意


『新明解』は、山田先生が主幹となり、ほぼ一人で作り上げました

そこには、山田先生の理想が体現されています。


今までの、”言いかえ”や”盗用”ではなく、【長文で詳細な説明】を実践したのです。

例として、【生意気】の語釈(言葉の説明)を挙げます。 

【生意気】
ちょっとした知識をひけらかしたりまわりが黙っているのをいい事にして勝手な事を言ったりするので、機会があれば凝らしめてやりたい感じだ。

『新明解国語辞典』(第四版)

 

また、山田先生は、辞書界の発展を望んでいました。
その考えは、『新明解』初版の序文にも明示されています。

辞書発達のために、あらゆる模倣をお断りする

『新明解国語辞典』(初版) 序文 

「盗用するな。語釈は自分で考えろ」というメッセージが伝わってきます。


また、一見”皮肉”とも思われる語釈にも、意図がありました。
たとえば、【役所】という言葉は、

【役所】

国·地方公共団体の行政事務を取り扱う所。「お役所仕事[=形式だけをむやみにやかましく言う上に、非能率的の典型とも思われる仕事ぶり]

『新明解国語辞典』(初版)

と、皮肉まじりに説明されています。

が、その皮肉の意図は次のとおりです。

ことばには”表”の意味と同時に”裏”に秘められた意味がある。その”裏”の意味を隠すところなく指摘できれば、ことばを使う者にとってはたいへんな朗報になるのではないか。

佐々木健一『辞書になった男』p241

たしかに、言葉の中には、意味が”表”と”裏”の両面を持つものがあります。

山田先生は、『知ってはいるけど、大きな声では言えない』裏の意味を、きちんと辞書の載せたのです。

 

ただ、あまりにも独創的な語釈であったため大きな波紋を呼びました。
 

【動物園】

生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣·魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。

『新明解国語辞典』(第四版)
画像33


これには抗議が殺到し、修正が加えられました。



他にも、国語学者や辞書編集者から多くの批判を受けました。
 

しかし、世間には受け入れられ初版から大ヒットします。

1990年代に入ると、『新明解』が『三国』の売り上げを逆転し、今では「日本で一番売れる辞書」と言われるようになりました。

画像22
画像出典:『新明解国語辞典』


 現在、『新明解』は【累計発行部数1200万部の広辞苑】より多い、累計発行部数2000万部を誇っています。


10.まとめ

 ◆なぜ『新明解』の語釈は独特なのか?

 の答えは、

画像23

◆山田先生が、辞書界の問題を打破するために独特な長文の説明をしたから

画像24

です。

独特な説明は、山田先生の理想を体現したものだったんですね。

この記事を読み、辞書に興味を持っていただけたら嬉しいです。


最後に、山田先生の”魂”がこもった用例を紹介します。

次の【んとす】という言葉の用例は、『新明解』の最後のページ(付録を除く)に書かれています。

【んとす】
われら一同、現代語辞典の規範たらんとする抱負を以て、本書を編したり。乞ふ読者、微衷を汲み取らんことを。

※微衷=真心をへりくだっていう語。


感謝


※引用文で太字になっているもののは、オニギリが太字にしたものです。

この記事が参加している募集

最近の学び

国語がすき

出版を目指しています! 夢の実現のために、いただいたお金は、良記事を書くための書籍の購入に充てます😆😆