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【特別連載】企業を活用した社会変革Ⅰ

*Special Olympicsとの出会い

2012年9月 私はシンガポール赴任になった。当時シンガポールの店舗数は7店舗、その内売上が大きい4店舗を任されることになっていた。見知らぬ国で不慣れな地下鉄とバスを乗り継ぎ、ようやく本部に到着した。既に他国への異動が決まっている営業責任者が引継ぎの為に出社していた。海外事業では良くある事だと思うが、1名の駐在員が複数部署を兼任することなど2000年前後では当たり前のことだったと思う。「君はITに興味がある?」「はっ、はい…」「君は社会貢献に興味がある?」「まあ興味がないわけではないです…」ということでめでたく社会貢献に関わる仕事をたった一言の「掛け声」で引き継がれたのだ。渡されたメモには Special Olympics Singaporeの住所と Dr. Teoという名前が書き記されていた。当時CSR(Corporate Social Responsibility) が何の意味かもわからない私に取って、これが今後の人生観を大きく変える転機になるとは夢にも思わなかった。

そもそも訪問する目的もないままアポを入れたのだから とても重い足取りで私は託された住所に向かった。事務の方に案内され奥の部屋に通された私は、何を話せばいいのか、しかもいきなり英語で社会貢献のことなど話せるのか、そわそわしながらDr. Teoを待っていたのを思い出す。部屋に入ってきた彼女は明るい笑顔で挨拶と握手をしてくれた。ホッと胸をなでおろしてから、ありもしない本題をどう切り出そうか一瞬間があったと思う。「あのぉ~私たちに何が出来るのでしょうか?」隠していても仕方がないので、私はまずシンガポールに赴任してきたばかりであること。この国のことも、貴方方のことも何も知らないことを正直に話すしかなかった。それを聞いたDr. Teoは丁寧にこの国で起こっていることや、Special Olympicsという組織が何者でどのような活動を行っているのかビデオを流しながら説明してくれた。私にはまず「知って理解する」ということ以外、その時、出来ることはなかった。

今振り返ると、本当に多くの方々に相談したり、質問したと思う。時には「企業による社会貢献は偽善」ではないかと思うこともあり、私たちがやろうとしていることが正しいかどうかわからない、単なる「売名行為」なのではないか。それなのに貴方方はそのような「葛藤」をしたことはないのか、そういう議論を随分積み重ねながら「この国と社会をより良い方向に導く為に我々がすべきこと」について私達なりの「カタチ」を作っていたのが2012年の暮れの頃だったと記憶している。

*In Store Shopping Experience 買い物体験誕生秘話

その日、私はシンガポール国内にある特別障がい者支援学校を訪問していた。驚いたことに教室の他に、キッチンや小さなホテルルーム、スーパーマーケットのような「模擬店舗」(商品もダミーで陳列してある)、共有スペースにはレストランやカフェすら存在していた。共有スペースにあるレストランやカフェについては、実際に障がい者の方々(卒業生)が就職をしてランチを提供しているそうだ。ホテルルームやスーパーマーケットは実は「職業訓練」「ライフスキル向上」の為のプログラムがあり、そこで買い物の仕方やルームメイクの仕方を覚えて、学校卒業後に自立できるようなプラグラムが組まれているということだった。弊社には三現主義(現場・現実・現物)を実践する風土があり、正に現場で何が起きているのか目にすることができ、現実の過酷さを理解できた。学校内の見学を終えて、学校や障がい者支援に関する取組などを説明して頂いたのだが、印象的だったのは「校外学習」で八百屋さんに野菜を買い物しに行くプログラムがあることだった。自立して買い物をするという行為を体験させること、見知らぬ人と買い物をするときにやりとりをする過程、つまりライフスキルを身に着けることがとても重要で、なかなかこのような機会を創り出すことが出来ないそうだ。社会にはこのような問題が転がっているが、そんなこと、全く知らない自分がいた。衝撃であった。

オフィスに戻って色々考えていく中で、まずパッと思いついたのは、学校の中に「店舗」を作ること。店舗を作って商品を陳列すれば「服を買う体験」を提供できるし、服を販売する経験が積めるから「雇用」につながるのではないか。衣食住は欠かせない人間に必要なことだから将来に渡って役に立つ経験になる。これは言うのは簡単だが、経営陣を説得させるのには「いばらの道」だということは容易に想像がついた。だとしたら同じことを、どうやって実現できるのだろうか。そこで目を付けたのが「店舗」「営業時間外」つまりオープン前の「空白時間」であった。「特別なお客様」「特別な時間帯」にご招待して「買い物体験」をしてもらえば「仮想店舗」「実店舗」に作り上げることができることに気付いた。次の課題は学校にいる生徒をどうやって「仮想店舗」に移動させるのかであったが、学校の送迎に使われているバスの要領で、バスをチャーターして買い物の前後に学校から導線を作ってあげることで、プログラムを完結させることが出来た。これがIn Store Shopping Experienceの誕生背景だ。

そこから細かいプログラムを組み上げていった。ローカルメンバーとのこのアイデア出しと組立は非常に楽しいものであった。なぜなら「僕らが創るこのプログラム」がこの国と社会を変える可能性があるかもしれないからだ。このプログラムは思いのほかローコストで実行できた。必要なのは往復のバス代、店舗で買い物をしてもらうバウチャーマネー(100SGD)そのまま自分で選んで買い物した服を持ち帰ってもらうようにした。つまり寄贈なのだが、単純に服を寄贈することと、意味が全く違う。我々はこのプロセスを提供することの重要さを学校訪問で理解していた。そして何よりも買い物をする時に我々の店舗スタッフとペアになってもらい売場を回ってもらうようにバディーシステムとすることで、知らない人と対話する能力も身に着けてもらう仕掛けを作った。我々のスタッフにとっても「特別なお客様」が普段買い物に来店された時に「特別な」ではないお客様として自然に対応できるコミュニケーションスキルを学ぶ場としての狙いも取り込んだ。

全体としてはシンガポール国内にある特別障がい者支援学校を毎月順番に、このプログラムに招待し、2年で全ての学校を網羅する計画にした。更に実施するオーナー店舗も輪番で回すことでより多くのスタッフが参画できるように年間スケジュールを作り、学校訪問とプログラム説明、実際のプロジェクトを各学校の校長先生達を詰めていった。学校訪問にはオーナー店舗の代表がリードし、各学校が抱えている課題や生徒たちの実態を学校訪問や交流の中で確認しながらプログラムに新しい要素や必要なことを加えて仕上げていくようにした。このスタッフ達が将来ビジネスリーダーとなり社会を変えるような人材に成長してくれることを考えて、プログラムの主役を我々のスタッフや店舗にしようとチームは黒子役に徹した。

映像を見てもらうとわかるのだが、スタッフは同じTシャツを着ている。毎回実施される店舗と特別学校の組みあわせで実は文字のカラーが全部違う。これはボランティアとして参加する特典で、コレクション性もあるので毎回こだわって色の選定をしていた。この色を見ると、どの回なのか直ぐにわかるのだが、中には神回と呼ばれる感動的なプログラムになったものもあった。そして背中には「The Power of Clothing」つまり「服のチカラ」で世界をより良くすると印刷されている。これは世界の未来を背負っているという意味を込めてバックプリントにしている。服には不思議な力があり、着ることで身を守る機能性や、自分を表現する道具としての服でもあり、服を着るだけで気分が高揚したりもする。我々は単純に店頭で服を販売している販売員ではなく、服のチカラで世界を変えることが出来ることを、実体験で理解してもらおうと願いをこめていた。

このプログラムを完成させ、世界中に展開していく中でいつかこのプログラムを創ったメンバーの思いが広がっていき、この取組が他企業へも拡散できるようにパッケージ化して情報も開示していった。歴史を創り、それを積み上げて伝統を創る。当時描いた未来が現実のものとなった。

私は企業に勤めている為、対外活動には制約があるが、企業リソースを活用して社会を変えるプログラムを創るような取組はボランティアベースで続けていくつもりである。企業という垣根は早晩崩れ、個人の時代に入っていく中で、社会に転がるリソースを組み合わせて人がつながる しなやかで力強い社会作りは今後ますます必要性を増すと思っている。

*服の持つチカラの本質

Jasonはシンガポールで働く我々のメンバーだ。買い物体験でライフスキルを身に着け、弊社のブランドと出会い、自立して仕事をして生活している。それぞれのドット(プログラム単位)をつなげるとキャリアパスが作れるようになる。このドットをつなげるのが「服のチカラ」であり「店舗」ある。服には人生を変える力があり、社会を変える力がある。そして何より「服のチカラ」を体感し、信じる者にしか使うことが出来ない不思議な力。それが私が考える「服のチカラ」であるが、きっと「XXのチカラ」はあちこちに存在しているのではないかと最近は考えるようになった。そういうものを言語化してプログラム化して具現化していくことは大きな喜びになるだろうと思い日本にいる間に1つか2つは世に送り出して見ようと活動している。

*遠い海の向こうで

約3年前に日本に戻り、ASEANの状況も随分変わってしまったと聞いているが、たすきを受け継いで今も頑張っている仲間が遠い海の向こうにいる。いつかASEANに戻ったら更に社会を巻き込んだ取組が一緒に出来るように、私も毎日毎日無駄には出来ない。機会があるうちに当時の思いを文字に起こしておこくことで、くさびを打ち込み、ここから新たな10年を創造していく。


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