観た。2020/01/07『せぶん』2020/01/23『楽屋』2020/01/25『天使の歌が聞こえる』2020/01/26『悪霊』2020/01/28『REVUE JAPAN』2020/01/29『サクラヒメ』
今年に入ってから。
色々とバタバタしていたせいもあり。新型ウィルスの到来もあり。
ずっとほったらかしにしていた観劇録です。あんまり観に行ってないつもりが、そうでもなかった。
まずは一月の分。
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愛する伴・眞里子さんが主宰するLa CHANCO、その19年目の公演。
Show Live『せぶん』、中目黒TRYにて。
演目自体は再演……になるのでしょうか。以前にも拝見しております。しかし、ところどころブラッシュアップしての2020年版でした。
変わらないのは、皆様の素晴らしいコーラスワークと、珠玉の昭和親父ギャグ!
替え歌のマジ歌のオンパレード!に、爆笑と苦笑と感動。
七福神になぞらえた「せぶん」、彼らが乗る宝船の船長は、勿論La CHANCO鍋奉行の伴ちゃん。
伴ちゃんとは、もう15年ほどのお付き合いになるのかしらん。キッパリと潔く、実直にして直情。男気、侠気、漢気あふれるオヤジなのであります。
中目黒なんてオシャレ地帯、らしくないんじゃないのと思っていましたが、会場は瞬く間に昭和の居酒屋と化したのです。
スッキリと細身の黒スーツが決まって素敵にスタイリスティックなのに、この下町オヤジ感が素晴らしいです。
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浅草九劇、『楽屋-流れ去るものはやがてなつかしき-』 。
楽屋で過ごす女優4人を描いた名作戯曲……と知ってはいたけれど、実際に拝見するのは初めて。不勉強この上ない事を反省。
登場人物は確かに女優四人だけれど……本当のところは……アザーズたちの物語なので。というところ。
軽妙な仕掛けが面白く、ちらりと魅せるエグさと純真。確かにうまい戯曲だなぁ、と。
ところどころで引用される『かもめ』が素敵。皆がニーナに憧れた時代ね。
今回は全役を男優が演じるバージョンで、それも面白うございました。
性の逆転は美醜の綯い交ぜとなる。キレイはキタナイ。キタナイはキレイ。だから浮かび上がる虚の裏の実。かしらん。
女子の男装はオトコの美しさを鋭く煌かせ、男子の女装はオンナの醜さを甘くまろやかにする。
異性を演じれば、描かれるべき心象だけがそこに残る。
扮装という記号=鎧を身に纏うからこそ、心が油断をして自由になる。
或いは檻の中だからこそ、心が暴れて剥き出しになる。妙味。
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OSK日本歌劇団『天使の歌が聞こえる』、博品館劇場。
売れない?作曲家で歌い手の夫と作詞家の妻。ある日、作曲家で歌い手の夫が脚光を浴び、華やかな世界へと足を踏み入れるが……と言うと、端折り過ぎかなぁ。
芸能界セレブ自堕落ループでシリアス風味に追い詰められていく一幕と、
事故死寸前のところに天使が現れて、パラレルな世界を見せられつつ、現実の幸せに立ち戻っていくコミカルで優しい「青い鳥」な二幕。
出演者の皆さんが醸し出す朗らかさと慎ましさ、善良さが、柔らかく物語を包む。
特筆すべきは桐生さんの「実体」な感じ。歌劇的異性装スターの領域をふんわりと飛び越えたナチュラルさ。ある意味、前述の『楽屋』とは対照的かも。
異性を演じてなお、人間だけがそこに残る。
扮装を超越した魂だけがそこにある……とは大袈裟か。
穏やかで大らかなのは、媚びたり屈したりしない、心の正直さなのだと思う。
ただこれは、異性装が手段としての「飛び道具」ではないからかも知れない。「歌劇」という世界で、異性装が「ごく当たり前」という前提の上でもたらされた演劇的事象なのかも。にしても、その自然体は素晴らしい。唯一無二……のキャッチフレーズを、御本人は些か面映ゆく思っていらっしゃるかも知れないけれど、やはり唯一無二。
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劇団CEDARの公演『悪霊』、シアター風姿花伝へ。
なんとなく知り合いの松森くんが主宰するCEDARの公演は骨太で興味深いものが多く、ずっと拝見したかった。やっとの観劇。
ドストエフスキーで、ガッツリ三時間半!
観た、聞いた、だけではなく、その時間を共に生きた……という疲労感。まぁ、これがワタクシ的には観劇の醍醐味だと思うのです。
十二分に味わえる物量でした。
とかくドストエフスキーの描くところの人物は激しく衝動的で、回りくどくてウザったくて気分屋、自分勝手に暴走しがち。
周りを傷つけながらも、自分が傷ついたことを声高に叫ぶ。
いや、こうでなくては、時代や社会や信仰が盛大に揺れ動いてグラグラしている大地にしがみつくことなど到底出来ぬ。あっぱれな生命力と闘争心、かくも豊かなタフネス。
人間って結局あまり変わらない。節目ごとに「革命」が起きない訳はない。だから、きっと、この先に訪れる時代を占う作品でもあるのだろう。
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初めて伺う劇場、DAIHATSU 心斎橋角座。
OSK日本歌劇団さんの『REVUE JAPAN』です。
出演者と内容を変えて続けていらっしゃる公演で、所謂インバウンドを意識した内容。
ですが、日本在住者でも充分楽しめます。
コンパクトなのに、しっとりこってり「日本物」。OSKさん界隈で言うところの「日舞」。
本格的な「日舞」レビューの要素に加えて、ライトでカジュアルな場面や客席参加コーナーがあったり。近い距離の劇場で、なお親近感の持てるような造りでした。
そして幸せな気持ちで劇場で過ごせるのは、いつもながらに感心するOSKの皆さんのバイタリティとホスピタリティ、そしてクオリティがあってこそ。
狩衣と十二単で民謡とか、狩衣と十二単で桜パラソルとか、シュールな部分
も素敵です。
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京都は南座、イマーシブシアター『サクラヒメ』。
いまどき人気な言葉、イマーシブ。ワタクシは定点観測が好きなタイプなので、実は少し苦手なのですが、観れるものは何でも観たい病なので、のそのそと伺った次第です。
客席と舞台面を同じレベルにして、一階客席がアクティングエリアとなります。二階・三階にも演者が出没するのですが、巻き込まれるなら一階席、俯瞰するなら二階・三階席、という感じ。
ただし一階でも、二階・三階でも、行われていること全部を見るのは不可能。同時多発、見切れ多発ですからね。
一階だと、雑踏の中にすれ違うドラマ、すぐ傍らに滲み出てきた異世界に接するので、それが楽しいのかも。
自分で歩いて入るタイプのお化け屋敷とかに似ている……いや、そもそも遊園地やテーマパークとかが既にイマーシブですね。
そう思うと、名所旧跡を訪ね歩いたり、公園・庭園を散歩したり、神社仏閣の境内をうろつくのもイマーシブシアターですね。勝手に物語を見つけて遊んでいる。
普通に街を歩いていても、観るべき物語は常に傍らにあるのです。
ちょっと話がズレて参りました。
劇場公演であるコチラは、当然ながら基本となるストーリーは用意されております。
そして物語の結末は、二階・三階の観客の投票によって決まるのです。
サクラヒメは所謂「桜姫」で鶴屋南北の設定も盛り込みつつも、やはりそこは別物で。
ラストはタイトルロールであるサクラヒメが、彼女を取り巻く五人の男子の誰を選ぶかという事でして……僕はやったことが無いのですが、これは恋愛ゲーム的なのでしょうかね。
ゲームの世界は無知ですが、公演自体がゲームの体験と似ているのかも。と思った次第です。
実は自分にイニシアチブがある訳ではないのに、自由意思で視点を選んでいるような感覚。
アトラクションが持つ演劇性を設定という名のストーリーで高めつつ、4D的な要素も含めたファンタジー効果とゲーム的なルールを絡めて参加意識をくすぐり………選択肢の巾により、より個人的な体験へと変換してゆく仕掛け……と言う観劇スタイル。
みんな、ドラえもんのタイムマシンに、のび太君と一緒に乗りたいんだね。っていう。僕は脳内参加で充分ですが。
より個人にカスタマイズしていく……と言うのが、演劇に限らず当今の潮流な気がいたします。想いのままにならない結末も、決して届かない世界も、これまた素敵なのですけれどね。
ちなみに、前述『REVUE JAPAN』でも一場面、同じような趣向がありまして。客席がストーリーのエンディングを多数決で選ぶのです。
それがサムライとゲイシャ(と言うか花魁)の物語で。
サクラヒメも花魁(と言うか太夫か)だし、なんだか人間は似たことを考えるものですね。
最後にフォトセッションがあったりとかも。ね。一緒でした。
此処だけは、自分的には要らないなぁ。近すぎると夢が壊れちゃうと思っちゃうので。
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