才能とは?自分の才能の見つけ方。

才能とはなんだろうか?結論言っちゃうと、才能とは継続する力のことだ。そして、才能があるから続けられるのではなく、自分が続けられることにおいて自分は才能を持っている、と考えている。

例えば、サラリーマンをするにも才能がいる。オレは、まったくその才能がない。会社組織に属すると、そこで繰り広げられる人間関係や、茶番劇に耐えられずに死にたくなる。感覚を麻痺させて慣れてしまえれば楽なんだろうが、どうしてもそれができない。だから、サラリーマンやってても全く続かなかった。

同じ会社にいながら、不毛な会議や、上司へのおべっかと裏での陰口、理不尽な人事。そういうのを目の当たりにしても、食っていくためだからとその場を離れずに生きていける人がたくさんいた。オレは、そういうのスルーできる資質がなく気に病んでしまった。我慢の限界が来ると、上司に辞表を提出。サラリーマンを続けられないオレは、サラリーマンをやる才能に恵まれなかったんだと思う。

あの人は、才能があるから…と、人は言うが、その当人に何故その才能が備わっているかは、その人がそれをきちんと続けているからだ。そして、才能の大きさはどれだけの時間を費やしたかの量に、ある程度比例すると見て間違い無いだろう。

オレは、ミュージシャンの川谷絵音を天才だと思っている。彼は天才だからミュージシャンとして成功したのではなく、おそらく誰よりも音楽に向き合い、誰よりも練習をし、曲を作り、録音をしたんだろう。音楽に費やした時間の量と、内容の密度とその継続が彼を飛び抜けた才能の持ち主にしたんだろう。天才とはきっとそう言うものなんだろう。

じゃあ、自分にはなんの才能があるのだろうか?と問うてみる。自分が続けて来られたことってなんだろう?今の仕事の才能はきっと持ってる。毎日真剣に向き合いつつ飽きていないし、勉強も続いている。勉強を続けられているから飽きないのだし、それを継続できている以上才能あるっぽい。

それと、人を褒める才能もあるっぽい。ずーっと前から、人の良いと感じたところは言葉にして伝えている。これも淡々と継続している。おべっかではなく、心に素直に良いなと思ったことを伝えるのだ。続けるという意思もなく、勝手に続いている間隔がある。それはきっと才能があるからだろう。

そんな風に自分は、何を続けて来られただろうか?と見てみる。自分には才能がないと、才能のある人を羨ましがってばかりいても仕方がない。続けられることにおいて、オレたちはその才能を持っていると言える。

だから、やってみないと分からない。やってみたことが続いた「結果論」としてしか、自分の才能には気がつかないのだ。初めから才能のある人なんていない。才能の持ち主とは、継続できる人のこと。そして、自分が継続できることにおいて、自分はその才能を持っている。


あ〜、金麦飲みてぇなぁ