分かり合えないを、分かり合う。1人に依存せず、何人かにうっすら依存する。価値観の相違は、簡単に埋まらない。なぜなら価値観は…

何気ない会話の中にこそ、その人の価値観が顕著に現れる。いわゆる「深い話」みたいなことわざわざしなくても、ぽろっとこぼれた言葉の中に、その人の人生がにじむ。

オレの嫁さんは、友達の家庭や旦那さんのことを「しっかりしてる」とか「ちゃんとしてる」という言葉を使ってオレに話すことがある。

どの辺が?と聞くと大体、正社員で働いてる、とか、家を建てた、とか、大企業で働いてるとか、そういうワードが飛び出す。それについては、特に何も言わない。「そうなんだね、立派だね」と、だけ。

僕は他人に対して、しっかりしてるとか、ちゃんとしてるとか、そういう評価をしない。それは、本当にどうでもいいというか、そもそも、ちゃんとって何やねん、と思う。しっかりって何やねん、みたいな。

他人に対して自分とは相性が合う、合わないはある。好き嫌いはあるにせよ、このしんどい人生を生きる上で、それが誰であっても幸せであれ、とは思う。

そして、嫁さんのように「マイホームを建てた」「正社員」「一流企業勤め」というのを聞いても、それがしっかりとか、ちゃんととか、そういうポイントには全くならないし、そんなことよりその友達幸せなの?ってことがいつも気にかかる。

お金は要らないとか、正社員じゃなくてフリーターで十分、的なことを言いたいのではない。

オレは、生きている以上、その人が幸せであってほしい。と思っている。自分の周りにいる、友人や知人なら尚のこと。そして、幸せであればそれでいいし、不幸なら自分にできることがあれば手伝いたいとは、思う。要するに幸せかどうかが、大切だと思うし、それ以外は割とどうでもいい。

マイホーム建てたり一流企業勤めでも、毎日ストレスまみれで本人に聞いても「不幸せ」と答えが返ってくるならどうしようもないし、逆に賃貸の安アパートでも幸せに暮らしているなら、そっちの人生の方にオレは憧れを感じる。

物質的、経済的な、豊かさでその人が「しっかりしている」「ちゃんとしている」とする価値観がオレにはない。当の本人が、幸せを、豊かさを噛みしめながら満たされた思いで日々を過ごしていることの方が、よほど尊いし大切。

だけども、これはオレが自分の人生の経験から学んできたことであり、嫁はまた違う人生の経験から正社員、マイホームに、ちゃんとした人を感じるという、それぞれの価値観の違いがあるだけのこと。2つの価値観の間に優劣も上下も、正誤もない。

この価値観をそれぞれに持つ夫婦が、お互いのことを分かり合えるはずがない、とオレは思っている。分かり合えないことをお互いに分かり合うことが大切だ、と。分からないことが分かれば、相手のことを尊重できる。自分を押しつけずに済む。だって、分からないんだから。

しかし、嫁は話せば分かり合えると、信じている。それはそれで美しいな、とは思う。でも、オレの話しを聞いて、「でも…」と反射的に否定で返すことしかしない嫁に、オレの思想は絶対に届かないな、と毎日のように思う。それは、仕方がない。お互いの人生経験から育まれた価値観、世界観、死生観の乖離は、決して簡単には埋まらない。

しかし、それと幸せとはまた別のところにある。オレの嫁はとにかく面白い。嫁といるとシンプルによく笑っている自分に気づく。おもろいのだ。B'zの曲の歌詞に「愛し抜けるポイントが、一つありゃいいのに」と、ある。まさにそれ。嫁はオレを笑わせてくれる。へんてこな動きで、おもろい表情で。それだけで十分なのだ。

分かり合えないことが分かると、その人に余計なことを期待しなくて済む。期待は往々にして、相手に自分のことを分かってもらえるはずだ、とか、分かってくれるはずだ、という思いから生じる。しかし、それが叶わなかったとき「裏切られた」などと言う。いや、おまえが勝手に期待しただけの話。相手は裏切ってない。おまえが勝手に期待して勝手に裏切られただけ。

分かり合えないことが分かる相手には、これがない。オレは嫁に、自分の思想や言動の理解をして欲しいなどと一切思わない。だから、オレの話しを全否定でも、まぁ仕方ねぇかくらいのもの。分かるわけないよな、と。そして、過去にそれが続いた現在は思想めいた話は一切しなくなった。それでいい。笑ってる瞬間がマジでおもろいし、幸せだから。嫁はオレにとってその一点だけでいい。

一人に全てを求めるのは相手にとっても酷な話。オレは、思想の部分では他の話し相手を持っている。感性や価値観の近い友だち。彼らと会って、日々の悲喜こもごもについては、話す。そうやって、自分の幸福に必要なパズルのピースを探して集めるように、これはこの人、これはこの人、と、自分が持ついろんな面をそれぞれに楽しく過ごせる相手がいればいい、と思う。

1人に大きく依存するんじゃなく、数人にちょっとずつ依存する感覚。そうすると、自分もバランスを崩しにくいし、相手とも良好な関係を築いていけるし、それを無理なく続けていける。

ひとの価値観には、それまでその人が過ごした人生の全ての時間が影響する。山崎まさよしが歌ってる。「育ってきた環境が違うから、好き嫌いはイナメナイ」のだ。簡単に分かり合えると思うことほど浅はかなことはない。

また、1人の中にある価値観も多面的だ。ギャグ線は合うけど、食の好みは違う、とか。幸せについての考え方はすごく近いけど、その方法は全然違う、とか。例えば、ゆとりがあることが幸せだと、お互い思っているが一方はそれを時間に求め、一方はお金に求める、みたいに。

その多面的な価値観に応じて、フィットする相手と心地よく言葉を交わすこと。これが他人と良好なコミュニケーションを取る上で大切なことだと思っている。オレはストレスなく、楽しく、気持ちよく生きていきたい。そのために、人は必要だ。自分のそれぞれの面で、深く通じ合える人が。そうやって、自分の幸せな日々を追い求めていきたい。

正社員?マイホーム? そんなことより、幸せなのか?


あ〜、金麦飲みてぇなぁ