思い悩んでる人は、手当たり次第本を読んだらいい。人との会話は、蛇足だらけ

どうしてオレはこんなんだ?なんで、オレばっかこんなに辛いんだ?

と、思っていた時期があった。今思い返せば、青春時代のありがちでありふれた絶望だったが、当の本人にとっては、自分だけの他人は知らない特別なことのように捉えていた、気がする。

と言っても、悩んでいる人に「みんな辛いんだよ」とか、「おまえだけじゃないよ」などと言ってもそれがなんになる。悩んでるその人を一層追い込むことになりかねない。

あの当時のオレを振り返ることがある。来る日も来る日も自殺のことばかりで頭がいっぱい。具体的に、自殺をイメージするも、やっぱり踏み切れず、昼間に切り忘れた電灯のように必要もないよなただ生きながらえる命だった。

あの時のオレが、今のオレの目の前に現れたらなんと声をかけるだろうか?そんなことをよく考える。たぶん、なにも言わないかもしれない。最近どーや?と聞いて、話を聞いて「へぇそうかぁ」しか、言わないだろう。

で、もし、質問がきたらそれには答えるだろう。でも、質問されたことに関してしかきっと答えないと思う。あとは、「へぇそっかぁ」だけだろうな、と。

「何も言わずにただ隣にいるというのは、強烈なメッセージになる」とイチローがなんかの番組で言ってた。言葉はなくとも、ただ一緒にいることが、大丈夫だよ、と、オレは味方だよ、とそういうメッセージになり得るとオレも思う。

言葉にしなければ伝わらないことと、言葉にならない部分で伝わること、というのがある。オレは対話においては、基本的に質問されたことしか答えないし、人に聞きたい話は自分から質問をする。例えばアドバイスだって、求められない限りしないし、自分が欲しいときはして欲しい人にアドバイスください、と言う。

もちろん、雑談やくだらない話だってするけど、ここで言ってるのとはそれとは別の領域の対話のこと。思い悩んでいる人に対しての言葉かけだったり、対話だったり。

悩んでいる自分の気持ちを動かして、行動を変えさせる力がどこにあるのか?はその本人にしか見出せない。オレの場合はある一冊の本だったが、かねてから尊敬する作家のものでもなければ、ただ、偶然に図書館で手にした一冊だった。

読書のいいところは、自分に必要な部分にだけ自分がフォーカスできるところにある。人との会話はそうはいかない。今は聞きたくない話を聞かされたり、聴かれたくない質問をされたり、が起こる。読書にそれはない。都合の悪い文章は本を閉じればそれで済む。

読書の良さはそこにある。オレは本によって自分が救われた経験から、思い悩んでいる人には読書をすすめたい、などと思っている。先人の中には、自分に似た人が必ずいる。人間なんてそんなに大差ない。それでいながらも、微々たる違いはある。その微々の部分が大きく自分と重なる、先人の言葉に出会えることは、幸運なことだ。

その幸運を掴む為にも、さまざまな書に触れたらいいと思う。難しい言葉で書かれたものじゃなくていい。本屋で平積みの本でもいい。スラスラ読めるものでもいい。とりあえず、お、これオレのことが書いてある、と感じる一冊に出会うこと。そこから、参考文献や著者に影響を与えた、先人のものに手を伸ばしていけばいい。

大丈夫だ、と思う。どうしてこんなにオレばっかり辛いんだよ、と自分と同じようなことで同じように感じていた人はきっといる。本と出会うことは、自分と出会うことでもある。自分とは、1番心強い仲間になり得る。自分と出会える本に、出会えたらいい。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ