作品の中に映る自分の姿を知ろうとする、鑑賞者としての視点

作品には自分が映る。自分が何者か?自分とはどう言う人間か?それを知る手がかりが欲しいなら、何か作品を作ることをすすめたい。

と言っても、自分には「作れない」「才能ない」「器用じゃない」などと、やらない言い訳を重ね着して、やらない人がほとんどなこともオレは知っている。

そんなときは、自分が好きな誰かの作品をよく見てみる。音楽でも映画でも小説でもいい。何故それが好きなのか?簡単な話で、その作品の中におまえが映っているからだ。

集合写真を思い出して欲しい。クラスのでも、友達撮ったのでもいい、何人か映る写真を見ながら、自然と自分の姿を探さないだろうか?人間とは、それくらい自分にしか興味がない。

つまり、自分が興味を持てる誰かの作品とは、その作品に自分の姿があるから。集合写真に自分の姿を探すように、じゃあ、その作品にはどんな自分が映っているのか?を、見ようとしてみるといい。

オレは映画「男はつらいよ」、とか、ドラマ「深夜食堂」が大好きである。何故それが好きか?と言われれば、例えば、寅さんのようにあっちへこっちへ気ままに旅をしたり、損得や利害を抜いたところで人を想うその心意気に憧れる。それに憧れる自分の姿が、男はつらいよには映る。また、深夜食堂だって、ありふれた人生の中にそれぞれが人生の悲喜こもごもを抱えながら、フツーに、だが、立派にいきている人々を見せてくれる。その作品に、自分のありふれた人生を肯定されるような安心感を覚える。つまり、劇の中の人物に自分が重なって見えることでの安心感。

そういうふうに、自分が好きな作品には、必ず自分が隠れている。自分で作ることができないのは仕方ないとして、ならば、興味や好きな作品があるならば、どうしてそれを好きなんだろう?と少し考えてみることは、自分をしるキッカケになる。

自分を知ることって必要か?それは、人による。必要ない人には必要ない。オレは、自分のメンタルのバランスを保つには?とか、幸福とは?などについて、言語化して把握しておかないと、いざという時に取り返しがつかないところまで、落ちていく性分だ。だから、オレには自分を少しでも知っておく必要がある。

心にゆとりと安らぎを持って、恒常的な幸せのために。作品を楽しむときの、一つの視点としてどんな自分が映っているのか?を見てみる。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ