これからのフェスを考える

この機にフェスがなぜ特別なのか、価値があるのか、今後どうなっていくのかを考えてみた。

僕はフェスの魅力を以下のように捉えている。


①非日常性・多様性を伴う自由 → 音楽、アートの力

②五感が開く体験 → 空間、飲食の力

③共感性、ワクワク → 人が集う力、「祭力」


まとめると

「アートの自由さ+空間や飲食体験+祭のワクワク感」の相互作用


ということになる(本当はこれに加え「④予測不能な偶発性」があるが、これは前提として考えるものではないのでここでは省略する)。

この相互作用はフェスだけの特別な体験で、参加後に世界の見方や行動を大きく変える力を持っている。


アフターコロナの時代にこれらを実現するには、現在のテクノロジーでも実施されている

・ポケモンGOのようなのAR

・映画を野外で観るフェス


がヒントになる。

つまりコンテンツとアナログ空間のハイブリッドである。

ただしポケモンGOも野外映画も、音楽フェスに比べコンテンツのライヴ感が圧倒的に足りない。

それを解消するには「リアルタイムで圧倒的に解像度の高い、双方向コミュニケーション可能なテクノロジー」が必要となる。現在のZOOMのようなレベルでなく、ライブでコールアンドレスポンスできたり、友達と隣り合って見ているような双方向で生感覚のテクノロジー。それが可能になれば生ライブに近いコンテンツを家でも楽しめる可能性はある。

ただし、それでも「五感を開く体験」というには程遠い。いくらリアルで美味しそうな映像を見ても本物のカレーの香りに負けるのと同じだ。視覚、聴覚以外の 嗅・味・触はテクノロジーによる代替まで非常に時間がかかる(不可能かもしれない)ので、そこはやはり空間や食といったアナログの力で補う。また、フェスの魅力③の「共感性・ワクワク」にはある程度人が集まり、アーティストとオーディエンス、あるいはオーディエンス同士の音楽を通じた相互コミュニケーションが不可欠である。

従って、最高解像度で双方向の「超生配信」を特別な場所で楽しむ「祭」、デジタルとアナログのハイブリッドなフェスを人が集まりすぎないレベルに制限して各地で開くのが良いのではないか。

船の上とか、無人島とか、キャンプ場とか温泉とか、五感を刺激する特別な場所で楽しむ祭。密集する都市から地方への可能性がキーワードになっているが、ベニューの価値はこれからもっと上がっていく。ライヴハウスで実施しても面白いかもしれない。音楽を楽しむには最高の音響があるんだから。

単に密集を避けるというだけでなく、グラストンベリーやコーチェラのような即プラチナチケット化するフェスを、日本にいながらにしてリアルに体感、という今までにないコンセプトが実現できるかもしれない。もちろん生の解像度には勝てないだろうが、どうしても生がいい人は本会場に参加すればいい。チケットは高額になるだろうが、その価値はあるはず。

もう一歩進めると、VRを組み合わせれば演者目線のライヴも楽しめる。ローリング・ストーンズの10万人ライヴをミック・ジャガーの視点で体感するとか。世界中の参加者とコミュニケーションをとるというのも楽しそうだ。

もちろん肌と肌が触れ合う、生の体験というのは非常に重要だ。簡単に代替えが効くというつもりはない。というか、その価値を信じているからこれまで野外フェスを続けてきた。ただ「この先」を考えたとき、本質を見失わなければ新しい価値が生まれる可能性もきっとある。その大前提として、文化を守っていく重要性は言うまでもない。

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