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化粧

川端康成の『化粧』という僅か2ページ程の短編がある。

作家である主人公の「私」の書斎の窓は霊園に併設された斎場のトイレの窓と向き合っているため、トイレで化粧をしていく女の様子が見えてしまう。墓前から下げられた花がゴミ置き場で朽ちて枯れていく一方で、人の死に際してもなお自分の美しさや生に貪欲であろうと口紅を引く女の本性に「私」は日々ドン引きしている。そんなある日、17〜8歳の少女がトイレに入ってくるなり無防備に号泣する姿を見て、「私」は女達への幻滅が薄れ勝手に心が洗われたような気持ちになっていたが、次の瞬間驚いて叫びそうになる。

さて、「私」は何を見て驚いたのでしょうか。400字以内で続きを考えてください。

みたいな授業をする先生が高校一年の時の担任だった。話し方もなんだか友達みたいなこの先生をみんな慕っていて、卒業してもうすぐ30年が経つのにいまだに時々連絡を取っている。

小説の続きをざっくりまとめるとこうだ。

トイレの壁に寄りかかってひとしきり泣き終えた少女は、おもむろに小さな手鏡を出し、それに向かってニッと笑ってトイレを出ていってしまう。『私には、謎の笑いである。』で結ばれる。

さっきあらためて『化粧』を読んでみた。

『私には、謎の笑いである。』

の謎は、少女が笑った理由に対してというより、彼自身が女性もしくは他者という存在に対して抱く計り知れなさ全般に対してじゃないかと思う。

喪服で口紅を引く女達を嫌悪しながらも「私」がその様子を盗み見せずにいられないように、人には説明のつかない感情や癖がある。想像を裏切られる圧倒的な分かり合えなさを「謎の笑い」と例えたんじゃないだろうか。

あの授業の日から随分経ってしまったけれど、私は今日これを読み返してそう感じたんだけど先生はどう思う?と聞いてみたい。

「嬉しいという言葉を使わずに嬉しさを、悲しいと書かずに悲しみを綴るのをお前の持ち味にすればいいじゃないか。泣いてないから何も感じてないとか、人ってそんなに簡単じゃないだろう?」

コロナの前だから一昨年か。「見知らぬ人が立ち止まって読んでくれるSNSに文章を書いたら楽しくて、自分は書くのが好きだったことを思い出した。だけど他人にウケるものを描こうとしすぎると、自分という人間の冷淡さや計算高さとも向き合う羽目になるね」という話をした時に先生に言われた。

人ってそんなに簡単じゃないだろう。

だから覗いてしまいたくなるんだよな、他人の分からなさや無防備な一面や自分の心の深淵を。





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