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決して、当事者でなくとも

3.11

決して忘れることのできない日。

でも、私は日本にいなかったし、被災地に家があるわけでもない。

震災後に現地を訪れたのだって、2011年5月に石巻、2013年1月に南相馬、2015年9月に陸前高田のたったの3回。

当事者ではない自分が震災について口を開くことにずっと抵抗を感じていた。被災した方にしたら、「当事者ではない人に何も言われたくない」と思われてしまうのではないかと考えていた。

でも、こうした考えが変わったのは、陸前高田を訪れたとき。陸前高田出身の友人のお母さんにおそるおそるずっと気にしていたことを聞いてみた。

「当事者でない人が、震災について口にすることをどう思いますか」

友人のお母さんは今までよりもゆっくりと、言い聞かせるように話してくれた。

「当事者だろうが、当事者じゃかなろうが、震災について思うことがあるのであれば、私は言葉にして欲しいと思っている」

優しい顔で、そう話してくれた。そのときの様子をいまでも覚えている。

当事者でないからといって口を閉ざしてしまったら、震災について話題にする人が少なくなってしまう。そうすると、震災に関して触れる情報量が少なくなる。萎縮は、きっと何も生み出さない。

現に今、テレビで震災を扱う回数は9年前と比べてかなり減少した。でも、決してすべて解決したわけではないし、まだ何も終わっていない。

でも、私たちは頭では分かっていても、触れる情報量が少なければ、震災について考える機会が減ってしまう。それを一般人の私でも「陸前高田に行ってきたよ」と伝えるだけで、人の目に触れる。その中から震災について思い出す人も増えるかもしれない。

その回数を増やすことが、一個人の私たちにもできること。

Yahoo検索だってそう。検索して、10円募金することも意味のあることだけど、きっとそれと同じくらい、検索した先に出てくる震災の情報に触れることが意味のあることなんじゃないかなと思う。

触れる情報の数だけ、きっと人は考える。

それならば、「当事者でないから」と口を閉ざす世界よりも、「当事者じゃないけど、私はこう思う」と話せるほうが、オープンにみんなで話し合える世界になる気がする。

毎年、3月11日にはこの日のことを思い出している。

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▲2015年9月に陸前高田を訪れたときは、盛り土をしていた

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▲陸前高田の隣町で行われていたお祭り

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▲2013年に南相馬を訪れたときの日記

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