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「気にしない」努力

私はしょっちゅう色んなことを気にしすぎてる。
特に人間関係に多い。

よくあるパターンは3つだ。

①自分の発言に後悔する。

「あぁ、なんであんなこと質問したんだろう。恥ずかしい、恥ずかしい、、、社会人失格だ。もっと調べれば分かったことじゃん〜、あぁタイムスリップしてなかったことにしたいよぉぉ!」

こんな具合に、数時間前や数日前の自分の発言に猛烈な羞恥を感じることがよくある。

本気でタイムスリップしたいと考えはじめる。

しかし、実際は後悔しても本当になんの意味もない。時間を浪費して、精神もすり減っている。

②人の気持ちを邪推し、自分に原因があるんじゃないかと深読みする。

周りの人間関係のすべてに対して、私の言動が悪影響を及ぼしたのでは・・?と推測する。

例えば、最近、仲のいい同期から連絡の頻度が減った気がしたタイミングがあった。
最初は「なんかあったのかなー?」くらいの心配だった。
それが、2日後には「私なんか悪いことした?!えっと、、思い当たることと言えば、、ハッ!!!!緊急事態宣言終わってるからって友達とご飯行ったからかな?!もしかしたらまだ自粛するべきっていう考え方だったかな?!価値観が違うと思って、離れていっちゃったのかな・・せっかく仲良くなれたのになんてことしたんだ私は・・」

ここまで考え込んでしまった。

よくよく考えれば、とても傲慢な考え方だし、かなり自意識過剰だと思う。

結局、その同期は、単に月々の支払額が急増していることにショックを受けて落ち込んでいただけだった。(※彼はかなりの倹約家)

ぜんっぜん、私と関係なかった。

③まだ分からない先のことを、悪い方へ悪い方へ想像する

これも、よくある。
あと数日、(ひどいときは)あと数十分で結果が分かることでも、どうなるか分からないことに対してかなり不安になる。

例えば、大学受験のセンター試験1日目の帰り道。
学校の先生に「1日目は2日目に響くことがあるから絶対に自己採点するな」と言われていても、結果が分からない不安な状態で頭がおかしくなりそうで、電車の中で立ちながら自己採点をした。
なぜそこまで・・と友人には白い目で見られていた。

最近も、仕事上の配属先がどこになるか連絡が来るまで、ひどく不安な状態だった。

結局、人事が連絡を忘れていたようで、他の同期よりも長い時間連絡が来なかったので、かなり精神をやられた。

「あぁ、私は評価される価値のない人間なんだ」「どこへ行っても活躍できる場所なんてないと思われているんだ」

時間が経つにつれ、②の性質も混合してくる。「自分の中にある悪い原因が、未来も悪くしている・・こんな状態になったのは私が悪いんだ・・」

でも、こんなのも結局時間が解決する。
別に悩まなくたって、心配しなくたって、いつかどうにかなる。
それなのに、先のことに対して悪い想像ばかりしてヒィヒィ苦しんでしまう。


なぜ私はここまで気にしすぎるのか

①〜③に共通して言えるのは、「自分を責める」「とりあえず悪い方に考えておく」ことだと思う。

では、なぜこのような思考になってしまうのか。

それは「心の予防線」なんじゃないかと思う。
実際に誰かに傷つけられる前に、自分で自分を傷つけておくことでショックを軽減しようとしているのではないか、と。

これに関係すると思われる過去の出来事が2つある。

恋人の浮気現場を目撃

一つ目は、2年前に付き合っていた恋人に浮気され、実際にリアルな現場を目撃したことだ。

詳細は省くが、読んでいる方が想像しうる最悪な事態を思い浮かべてくれれば、ほとんど合っていると思う。
これはかなりショッキングな現場だった。

昼まで、私と私の親友と彼の3人でランチをしていたのに・・
前日には、休日に行く旅行の計画まで立てていたのに・・
喧嘩はそれなりにあったが、なんだかんだ仲直りしていたし、それが浮気の前触れだなんてこれっぽっちも思っていなかった。

だからこそ、こんなに急に傷つけられることってあるんだ・・と絶望した。

その日から数ヶ月で、7kg体重が落ちた。
その数ヶ月の間は、全く自分の身体を大事にせず、色んな人と遊んでどうでもいいような関係を持った。
傷つけられたくなかったからなのか、誰のことも自ら好きにはならなかったし、好きになってくれる人がいたらもうその人とは会わないようにした。

父親との絶縁

父と母は私が3歳の頃から別居している。
それでも、父はなかなか母と離婚してくれなかったみたいだった。
理由はよく分からない。

父は、自分が新しい結婚相手を見つけたら、母に離婚を申し出てきた。
それはもう私が中学生くらいのときだった。
自分勝手だなぁとは思ったけど、母は離婚したがっていたから、まあいいんじゃない?と思っていた。

離婚しても名字は変えたくないという子ども3人の意向で、名字はしばらくそのままだった。

でも、私が高校3年生のときに、名字は変わった。
それは父が起こした事件が原因だった。
地元の新聞にも載るような事件だった。
私は、次の日学校へ行ったら誰かに何か言われるんじゃないか、と怖かった。
学校に着いても、誰にもなにも言われなかった。よかった。
でも、一日中油断できなかった。
もし何か言われたら、なんて返そう。
そればかり考えていた。

同じように気性の荒い父を持つ親友がいた。
その親友に泣きながらすべて話すと、ずっとそばにいてくれた。

その事件があるまで、私はてっきり、父は穏やかになってきていると思っていた。
たまに一緒に朝食を食べに行ったりしていたし、メールもたまに返していた。
再婚相手の方とも、何度も食事をした。
離れているけど、家族だと思っていた。

でも、傷つけられた。

その日から、父親にはたぶん一度も会っていない。
最後に会ったのがいつかも覚えていない。

傷つけられる前に傷つきたい

そんな出来事を経験してきたことで、誰かに傷つけられることが怖くなったんじゃないかな?と最近考えるようになった。

だからきっと、私は、自分で自分を責めるようになった。
私の心は、無意識に悪い方悪い方へと考え、実際に悪い出来事が起きたときのショックを軽減しようとしているんだと思う。

期待しちゃダメ。
信じちゃダメ。
良い方へ考えちゃダメ。

そんな意識が無意識に根付いてる。

むしろもっと傷ついてるのでは?

でも最近思うのが、この予防策によってなんか余計に傷ついていない?と。

たしかに、実際に悪い出来事じゃなかったときの喜びはある。
「あー大丈夫だった♪また心配しすぎちゃったな〜」となったときの安心感、スゴい。

でも、それ以上に予防策を貼っているときの心のすり減り具合もスゴい。

メリメリメリッと音が鳴るくらい悩んでしまっている。

先に傷つくor後で傷つく?

じゃあ、どうすればいいのか。
先に傷ついておくか、あとで傷つくのか・・

そう考えたとき、「先にも後にも傷つかない」という選択肢があることに気づいた。

今、「先に傷つこう」と思って予防線を貼っていることの結果って大体が「あー大丈夫だった!」である。

ということは、大体のことは結果大丈夫なのだ。

なら、「後で傷つく」はたまには起こりうるがほとんど起きない。全くない可能性だってある。

てことは、だ。

「先に傷ついておく」の方が圧倒的に傷つく回数は多くなる。

まあ、後で傷ついた方がショックは大きいかもしれないが、それもなんやかんやで時間が経てば癒える。
実際、元彼の浮気も父親との絶縁も、当時はかなりショックだったが今はこうしてnoteに書けるくらいにはなっている。

「気にしない」努力をする

だから、傷つく必要なんてないんだなと最近気づいた。
どうしても今は気にしすぎる性格が身にしみついているけど、これからは「気にしない」を意識しようと思う。

一度染み付いた性格を変えるのはなかなか難しいかもしれない。

でも、私が気にしすぎるようになったのもここ数年の話だから、数年あれば完治できるんじゃないかなー?と思う。

自分の心を必要以上に痛めつけないために、「気にしない」という努力をしよう。


「心の予防線」がなくても、きっとそんなに私は悪くないし、周りの人は優しいし、悪いことは起きないよ。

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